若冲展 特別記念講演④
前回書いた若冲展グッズで1件書き忘れがありましたので
まずは、そちらをちょこっと。
東京都美術館の常設ミュージアムショップの右端にありました
若冲缶バッヂのガチャガチャ。
直径は3センチほど、10種類ほどあるようです。
3回挑戦し、3種類別の物が出てきました。
最近、同じものを引かなくなりましてねぇ。ふっふっふ。
といっても、ここ半年以内の話ですが。
さて、若冲展の特別記念講演で聞いた話をメモを頼りに書き起こしております第四弾。
①は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
といっても、エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さったので
Eの表記ばかりになっておりますが......
**********************************************************
Y「ジョーさんにライトが教えたことで一番大きなことは自然の大切さ。
ライト自身の建築も自然の摂理にしたがって建てているんだ、と。
プライス・タワーというのも、まるで大地から生えた一本の植物のように屹立している。
Godというのは、常にGを大文字で書くけれども、
自分はNature(自然)のNも大文字で書くべきだと思う。
自然=神である、ということをライトはずいぶんとジョーさんに言っている。
その考えは日本の死生観、宗教観、日本固有のものに近い感覚があるんじゃないかと」
E「Mr.ライトが常にジョーに言っていたのは、ここに建物を建てて自然を破壊するような
建物を建ててはいけない。ここに建物があるから、自然がよりよくなるような建物に
しなくてはならないと、常に彼(ジョーさん)に教えていたと」
Y「1953年、辻先生は20か21歳?」
T「若冲のじゃの字も知らなかった」
Y「その頃は東大の学生だった?」
T「はい」
Y「先生は、もともとは理科系ですよね?」
T「できればお医者さんになりたいと思っていたけれど...」
Y「東大の医学部に進みたいと思っていたのが無理で
(どこまでも辻先生に挑む山下氏)
なぜか美術史に進学された、と。絵がお好きだったんですね?描いてらした?」
E「上手ですよ、先生」
ほほー、一体どんな絵を描かれるのか。
Y「美術史学科に進学された時点の先生は、若冲という名前すらご存知なかった?」
T「たぶんそうだったと思いますねぇ。東急百貨店で、干支の酉年にちなんだ鳥の絵の
展覧会があって、そこに大阪の西福寺(さいふくじ)の鶏がでていたんだけれども
気になっていたものの見逃してしまったんです」
ちなみに、あとで分かったのですが1957年に開催された『鶏画名作展』に
≪仙人掌群鶏図≫が展示されていたそうです。
T「そしたら杉全直(すぎまたただし)という人、いわゆる前衛画家という人が
その絵を見た感想を雑誌に書いていて。その感想を読んで、江戸時代にそんな絵が
あるのか、と。だからプライスさんと違って、文字から入ったんだよね。ふふふ」
Y「先生は、最初は実物と出会った訳ではないんですね。
(プライスさんと辻先生は、若冲との)出会い方は随分違うんですね。
本格的に若冲を研究しようと先生が思ったのは、いつ頃ですか?」
T「だいぶ遅いですよ。『奇想の系譜』という本を書いた時でも、まだ≪動植綵絵≫を
見ないで書いてるんだから、酷い話ですよ。ふふふ」
Y「それ、ちょっと衝撃の事実ですね!!
1968年に美術手帖で連載を初めて、1970年に単行本にまとめられましたが
その時点で実は先生はまだ実物をご覧になっていなかった」
T「『御物若冲動植綵絵精影(ぎょぶつじゃくちゅうどうしょくさいえせいえい)』に
出ているのは見ていましたが」
山下氏、とても大きな本を客席に見せながら
Y「ここに1冊図録を持ってきましたが、これは、『御物若冲動植綵絵精影』という本です。
大正十五年に発行されたもの。
この中を開きますと、6点はカラーで図版が載っています。
辻先生が若冲を知った頃は、この本がほぼ唯一の≪動植綵絵≫の手掛かりだった、と。
こちらのページで、その長いタイトルの本を少しだけ見ることができます。
こちらの記事の本文を読みますと、この本の現物をジョーさんと辻先生が一緒に
ご覧になったとか!お二人が揃って見られたのは1970年と。
この本の大きさは48×33cmとも書いてあります。
Y「そして不思議な縁ですが、ジョーさんもこの本を入手されているんですよね?」
E「大学を卒業した後にMr.ゴフからのギフトだって言ってましたけど、
今(ジョーさんが)言うには借りたけど、返さなかったみたい......」
場内、何度目かの大爆笑。
E「Mr.ゴフも、それが若冲の絵であることは知らなかったみたい」
Y「これに英文がある訳でもないので、まだ若冲だとは認識していなかった、と」
E「はい。Mr.ゴフは、その本を古本屋さんで買ったようです」
Y「この本を手に入れても、まだ若冲の名前を知らない。
でも、その後で確かカンザス大学の先生が若冲という画家の名前を教えて
くれたんですよね」
E「台湾出身の大学教授がいらして。その後にジョーがニューヨークへ行って
(≪葡萄図≫を購入した)同じ店で若冲の絵はないですか?と聞いたら、
あなた既に持ってますよ、と」
今回の若冲展に、この≪葡萄図≫がでておりまして。
「そうかぁ、この作品がジョーさんと若冲の初めての出会いなのねぇ」と、しみじみしつつ
見ておりました。
この絵に出会ったことで、彼は大学卒業祝いにもらっていたメルセデスベンツ代を
絵につぎ込むことになり。そして、ゆくゆくはプライス・コレクションへ繋がっていくなんて
誰が予想できただろうか、みたいなナレーションを勝手に脳内に流しつつ。
Y「この『御物若冲動植綵絵精影』は秋山光夫さんという研究者が大正十五年に
出版したものですが、上野の東京国立博物館を入って左側にある表慶館で
≪動植綵絵≫で並べたことがあって(その時の図録であるらしいです)。
それが≪動植綵絵≫を並べた唯一の機会ですよね、辻先生?」
T「その前は、ちょこちょこっと出したこともあるようですが。
皇室のコレクションになってからは、お蔵に」
Y「明治22年(1889年)に相国寺から皇室に献上されて、相国寺は(当時)一万円の
下賜金をもらって お寺の経営を立て直した、と。
以後、明治天皇が随分≪動植綵絵≫をお好きだったようで、明治宮殿に≪動植綵絵≫を
飾っている写真が一枚だけ残っていますね」
■雑誌の取材でプライス邸へ山下氏が訪れたときの写真
ジョーさんと山下さんが≪葡萄図≫を見ています。
「これは私が取材で伺った時に、一緒に撮った写真です。
確か2006年ぐらいにBRUTUS(ブルータス)という雑誌で若冲の特集を
組んだんですが、その時にプライスさんの家へ伺いました」
■≪紫陽花双鶏図≫の写真
Y「これがプライス・コレクションの中でも私は最高のクオリティの若冲だと思いますが
≪紫陽花双鶏図≫。
これはお気づきの方が多いと思いますが≪動植綵絵≫の中に非常に良く似た絵が
ありますね」
Y「プライスさんがお持ちの≪紫陽花双鶏図≫は、≪動植綵絵≫を描いている途中に
派生したバリエーションみたいなものと思っていいですか?」
T「落款を見ると、≪動植綵絵≫を描き始める前だと思います」
Y「そうすると、≪動植綵絵≫を描き始める前に、こういったかなり本格的なものを
描いて≪動植綵絵≫を描き進めるための資金を作りたいという気持ちもあったんで
しょうか?」
T「10年間、あまり他の絵が描けない訳ですから絹の代金とか貯めておかないと」
Y「≪動植綵絵≫よりも大きい≪旭日鳳凰図≫という鳳凰を描いた大幅(たいふく)が
展示されていますが、あれも≪動植綵絵≫直前ですよね、先生?」
T「あれは、凄い絵ですよね。あの一幅でもって≪動植綵絵≫すべての作品に
引けを取らないという」
Y「すごい力の入り方ですね」
■≪紫陽花双鶏図≫の落款部分のアップ写真
Y「この落款が≪動植綵絵≫を描く直前ぐらいのもの。
比較的、まだ自信なさげな感じなんですね。
もっと初期の落款って、もっと下手な字ですよね。
いくつか、この展覧会にも出ていますけど」
■≪紫陽花双鶏図≫鶏の部分のアップ写真
Y「ジョーさん、この絵は東京の荻原さんという方から購入されたと聞いています。
これが日本に来て初めて買った作品ですか?」
E「最初は≪虎図≫」
Y「では≪紫陽花双鶏図≫が二つ目。
この時はエツコさんと結婚したあと。直後ぐらいですか?」
E「はい」
Y「この絵(≪紫陽花双鶏図≫)は辻先生とも縁があって、ジョーさんが購入して
持って帰られる前に、辻先生は持ち主から借り出したことがあるそうですね?」
T「東京文化財研究所にいると、色んな情報が入ってくるんですね。
ジョー・プライスという青年が、日本に乗り込んできて、若冲、若冲、若冲はないか?と。
これは大変だ、と。日本から良いものが出て行ってしまう、と。
荻原さんのところから借りて大学の研究室へ持って行き、これが見納めかもしれない
なんて言って」
Y「辻先生が東大の研究室に、この絵を持ち込んで。
その時に見せられた後輩が、今回の若冲展監修された小林忠先生な訳ですね。
見納めだ、なんて全然そんなことなかったですね。
むしろプライス・コレクションに入ったことで、以後多くの研究者が見せていただく機会を
得た、と」
ちょっと、この話を聞いて勝手にヒヤっとしました。
一体全体、辻先生とジョーさんの初対面は、どんな感じだったのだろうか?と。
辻先生からすると、正直良い感情はなかったんじゃないか、なんて勝手に妄想。
いや、すみません、私の勝手な妄想です。辻先生は、何も仰ってないです。
ただ、個人のコレクターが入手したら、その後はお蔵入りになる可能性大な訳で。
ましてや外国へ渡ったら、もうねぇ。うむ。
まさか、こんなにもお里へ返してくれるとはねぇ。
と、またしても長くなりました。
本当は、≪紫陽花双鶏図≫の話が一段落するところまで進みたかったのですが。
あと2回ぐらいで終わるのではないかと思います。たぶん。
.
まずは、そちらをちょこっと。
東京都美術館の常設ミュージアムショップの右端にありました
若冲缶バッヂのガチャガチャ。
直径は3センチほど、10種類ほどあるようです。
3回挑戦し、3種類別の物が出てきました。
最近、同じものを引かなくなりましてねぇ。ふっふっふ。
といっても、ここ半年以内の話ですが。
さて、若冲展の特別記念講演で聞いた話をメモを頼りに書き起こしております第四弾。
①は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
といっても、エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さったので
Eの表記ばかりになっておりますが......
**********************************************************
Y「ジョーさんにライトが教えたことで一番大きなことは自然の大切さ。
ライト自身の建築も自然の摂理にしたがって建てているんだ、と。
プライス・タワーというのも、まるで大地から生えた一本の植物のように屹立している。
Godというのは、常にGを大文字で書くけれども、
自分はNature(自然)のNも大文字で書くべきだと思う。
自然=神である、ということをライトはずいぶんとジョーさんに言っている。
その考えは日本の死生観、宗教観、日本固有のものに近い感覚があるんじゃないかと」
E「Mr.ライトが常にジョーに言っていたのは、ここに建物を建てて自然を破壊するような
建物を建ててはいけない。ここに建物があるから、自然がよりよくなるような建物に
しなくてはならないと、常に彼(ジョーさん)に教えていたと」
Y「1953年、辻先生は20か21歳?」
T「若冲のじゃの字も知らなかった」
Y「その頃は東大の学生だった?」
T「はい」
Y「先生は、もともとは理科系ですよね?」
T「できればお医者さんになりたいと思っていたけれど...」
Y「東大の医学部に進みたいと思っていたのが無理で
(どこまでも辻先生に挑む山下氏)
なぜか美術史に進学された、と。絵がお好きだったんですね?描いてらした?」
E「上手ですよ、先生」
ほほー、一体どんな絵を描かれるのか。
Y「美術史学科に進学された時点の先生は、若冲という名前すらご存知なかった?」
T「たぶんそうだったと思いますねぇ。東急百貨店で、干支の酉年にちなんだ鳥の絵の
展覧会があって、そこに大阪の西福寺(さいふくじ)の鶏がでていたんだけれども
気になっていたものの見逃してしまったんです」
ちなみに、あとで分かったのですが1957年に開催された『鶏画名作展』に
≪仙人掌群鶏図≫が展示されていたそうです。
T「そしたら杉全直(すぎまたただし)という人、いわゆる前衛画家という人が
その絵を見た感想を雑誌に書いていて。その感想を読んで、江戸時代にそんな絵が
あるのか、と。だからプライスさんと違って、文字から入ったんだよね。ふふふ」
Y「先生は、最初は実物と出会った訳ではないんですね。
(プライスさんと辻先生は、若冲との)出会い方は随分違うんですね。
本格的に若冲を研究しようと先生が思ったのは、いつ頃ですか?」
T「だいぶ遅いですよ。『奇想の系譜』という本を書いた時でも、まだ≪動植綵絵≫を
見ないで書いてるんだから、酷い話ですよ。ふふふ」
Y「それ、ちょっと衝撃の事実ですね!!
1968年に美術手帖で連載を初めて、1970年に単行本にまとめられましたが
その時点で実は先生はまだ実物をご覧になっていなかった」
T「『御物若冲動植綵絵精影(ぎょぶつじゃくちゅうどうしょくさいえせいえい)』に
出ているのは見ていましたが」
山下氏、とても大きな本を客席に見せながら
Y「ここに1冊図録を持ってきましたが、これは、『御物若冲動植綵絵精影』という本です。
大正十五年に発行されたもの。
この中を開きますと、6点はカラーで図版が載っています。
辻先生が若冲を知った頃は、この本がほぼ唯一の≪動植綵絵≫の手掛かりだった、と。
こちらのページで、その長いタイトルの本を少しだけ見ることができます。
こちらの記事の本文を読みますと、この本の現物をジョーさんと辻先生が一緒に
ご覧になったとか!お二人が揃って見られたのは1970年と。
この本の大きさは48×33cmとも書いてあります。
Y「そして不思議な縁ですが、ジョーさんもこの本を入手されているんですよね?」
E「大学を卒業した後にMr.ゴフからのギフトだって言ってましたけど、
今(ジョーさんが)言うには借りたけど、返さなかったみたい......」
場内、何度目かの大爆笑。
E「Mr.ゴフも、それが若冲の絵であることは知らなかったみたい」
Y「これに英文がある訳でもないので、まだ若冲だとは認識していなかった、と」
E「はい。Mr.ゴフは、その本を古本屋さんで買ったようです」
Y「この本を手に入れても、まだ若冲の名前を知らない。
でも、その後で確かカンザス大学の先生が若冲という画家の名前を教えて
くれたんですよね」
E「台湾出身の大学教授がいらして。その後にジョーがニューヨークへ行って
(≪葡萄図≫を購入した)同じ店で若冲の絵はないですか?と聞いたら、
あなた既に持ってますよ、と」
今回の若冲展に、この≪葡萄図≫がでておりまして。
「そうかぁ、この作品がジョーさんと若冲の初めての出会いなのねぇ」と、しみじみしつつ
見ておりました。
この絵に出会ったことで、彼は大学卒業祝いにもらっていたメルセデスベンツ代を
絵につぎ込むことになり。そして、ゆくゆくはプライス・コレクションへ繋がっていくなんて
誰が予想できただろうか、みたいなナレーションを勝手に脳内に流しつつ。
Y「この『御物若冲動植綵絵精影』は秋山光夫さんという研究者が大正十五年に
出版したものですが、上野の東京国立博物館を入って左側にある表慶館で
≪動植綵絵≫で並べたことがあって(その時の図録であるらしいです)。
それが≪動植綵絵≫を並べた唯一の機会ですよね、辻先生?」
T「その前は、ちょこちょこっと出したこともあるようですが。
皇室のコレクションになってからは、お蔵に」
Y「明治22年(1889年)に相国寺から皇室に献上されて、相国寺は(当時)一万円の
下賜金をもらって お寺の経営を立て直した、と。
以後、明治天皇が随分≪動植綵絵≫をお好きだったようで、明治宮殿に≪動植綵絵≫を
飾っている写真が一枚だけ残っていますね」
■雑誌の取材でプライス邸へ山下氏が訪れたときの写真
ジョーさんと山下さんが≪葡萄図≫を見ています。
「これは私が取材で伺った時に、一緒に撮った写真です。
確か2006年ぐらいにBRUTUS(ブルータス)という雑誌で若冲の特集を
組んだんですが、その時にプライスさんの家へ伺いました」
■≪紫陽花双鶏図≫の写真
Y「これがプライス・コレクションの中でも私は最高のクオリティの若冲だと思いますが
≪紫陽花双鶏図≫。
これはお気づきの方が多いと思いますが≪動植綵絵≫の中に非常に良く似た絵が
ありますね」
Y「プライスさんがお持ちの≪紫陽花双鶏図≫は、≪動植綵絵≫を描いている途中に
派生したバリエーションみたいなものと思っていいですか?」
T「落款を見ると、≪動植綵絵≫を描き始める前だと思います」
Y「そうすると、≪動植綵絵≫を描き始める前に、こういったかなり本格的なものを
描いて≪動植綵絵≫を描き進めるための資金を作りたいという気持ちもあったんで
しょうか?」
T「10年間、あまり他の絵が描けない訳ですから絹の代金とか貯めておかないと」
Y「≪動植綵絵≫よりも大きい≪旭日鳳凰図≫という鳳凰を描いた大幅(たいふく)が
展示されていますが、あれも≪動植綵絵≫直前ですよね、先生?」
T「あれは、凄い絵ですよね。あの一幅でもって≪動植綵絵≫すべての作品に
引けを取らないという」
Y「すごい力の入り方ですね」
■≪紫陽花双鶏図≫の落款部分のアップ写真
Y「この落款が≪動植綵絵≫を描く直前ぐらいのもの。
比較的、まだ自信なさげな感じなんですね。
もっと初期の落款って、もっと下手な字ですよね。
いくつか、この展覧会にも出ていますけど」
■≪紫陽花双鶏図≫鶏の部分のアップ写真
Y「ジョーさん、この絵は東京の荻原さんという方から購入されたと聞いています。
これが日本に来て初めて買った作品ですか?」
E「最初は≪虎図≫」
Y「では≪紫陽花双鶏図≫が二つ目。
この時はエツコさんと結婚したあと。直後ぐらいですか?」
E「はい」
Y「この絵(≪紫陽花双鶏図≫)は辻先生とも縁があって、ジョーさんが購入して
持って帰られる前に、辻先生は持ち主から借り出したことがあるそうですね?」
T「東京文化財研究所にいると、色んな情報が入ってくるんですね。
ジョー・プライスという青年が、日本に乗り込んできて、若冲、若冲、若冲はないか?と。
これは大変だ、と。日本から良いものが出て行ってしまう、と。
荻原さんのところから借りて大学の研究室へ持って行き、これが見納めかもしれない
なんて言って」
Y「辻先生が東大の研究室に、この絵を持ち込んで。
その時に見せられた後輩が、今回の若冲展監修された小林忠先生な訳ですね。
見納めだ、なんて全然そんなことなかったですね。
むしろプライス・コレクションに入ったことで、以後多くの研究者が見せていただく機会を
得た、と」
ちょっと、この話を聞いて勝手にヒヤっとしました。
一体全体、辻先生とジョーさんの初対面は、どんな感じだったのだろうか?と。
辻先生からすると、正直良い感情はなかったんじゃないか、なんて勝手に妄想。
いや、すみません、私の勝手な妄想です。辻先生は、何も仰ってないです。
ただ、個人のコレクターが入手したら、その後はお蔵入りになる可能性大な訳で。
ましてや外国へ渡ったら、もうねぇ。うむ。
まさか、こんなにもお里へ返してくれるとはねぇ。
と、またしても長くなりました。
本当は、≪紫陽花双鶏図≫の話が一段落するところまで進みたかったのですが。
あと2回ぐらいで終わるのではないかと思います。たぶん。
.
#
by yui_usakame
| 2016-04-29 22:20
| 美術展
『若冲展』 東京都美術館で購入したグッズ
本日、東京都美術館で若冲展を見てまいりました。
美術館へ到着したのは8時50分頃。
そこには想像を遥かに超える長蛇の列。
あれ。
今日、平日の水曜日だよね??と、携帯を見て確認したほど。
400人ぐらいは並ばれていたのではないでしょうか。
一番前の方は6:30から並ばれていたそうです!!
いやぁ、甘かった。
昨日も、かなりの盛況ぶりだったようですが。
今日は、昨日よりも並ぶ人が増えていると職員の方が仰ってました。
映画にネタバレがあるように。
展覧会についても、会場に行ってから展示の順番を知りたい!
と思われる方もいらっしゃるかもしれないので。
その感想は、のちほど書くことにしまして。
まずは、購入した若冲展グッズについて。
といっても今回は、ほとんど絵葉書ばかりですが......
ものすごーく折り目がついてますが、グッズを入れてくれる袋です。
ただし、この袋にはマチがないため、図録と併せてグッズを購入した場合は
この袋ではなく、何の変哲もないビニール袋となりました。
≪菊花流水図≫ A5版クリアファイル
クリアファイルで、結構皆さんが手にされていたのは≪動植綵絵≫の絵が全て入った
A4のクリアファイル。
私、まったく見つけられなかったんですけど。おかしいなぁ。
後期展示を見に行ったときに探してみます。
※追記※ 5/21に購入できました!購入したグッズ その②に載せました。
≪鳥獣花木図屏風 六曲一双≫ メモ帳
大きさは、通常の絵葉書よりも少し小さめです。
絵葉書いろいろ
右下≪椿に白頭図≫ (背景が黒い図)の作品だけは、今回の展覧会グッズではなく
平木浮世絵財団が印刷した絵葉書きです。
そして、噂通りでした。
ありました、ありました、≪動植綵絵≫全種類の絵葉書。
1セット6枚ずつ入っておりまして、それが5セット。
≪釈迦三尊像≫セットには(当たり前ですが)3枚。
絵葉書を止めている帯の色が違うので、同じセットを買ってしまった!なんてことは
まずないと思われます。たぶん。
まぁ、それぞれ1枚目の絵が違うから重複してたらすぐに気づくはず。うん。
ふふふ。
これで、いつでも展覧会の様子を再現できる訳ですね。
じっくりと1枚ずつ近くで見られたけれど、全体を見渡すには人が多すぎて
並び順を楽しむとか、左側と右側の絵の並びを比較するということが難しかったので
絵葉書で再現して楽しみます。うう。
ちなみに、グッズ購入までは30分並びました。
そして、これは東京都美術館の常設ミュージアムショップで購入した
≪白象群獣図≫のA4クリアファイル。
※ こちらの作品の展示は、今回の展覧会にはございません。
(はい、でも買ってしまいました。サントリー美術館で見たときは、クリアファイルには
なっていなかった、ような??)
さて。
ここから下は、展覧会の状況や感想やら。
そして、気になった点を。いや、すみません、気になりすぎた点を。
あの、進むほどに愉快な内容ではないのでお気を付けください。
でも、書かずにはいられない......
*************************************************************
これまで遠足でも、運動会でも、楽しすぎて前夜眠れなかった!なんて
記憶が一度もない私ですが。
今回の若冲展は愉しみすぎて、昨日はよく眠れませんでした。
眠れないなら、作品を見る順番を考えてみよう、なんて思いまして
(いつもなら展示作品リストを先に見ることすらしないのですが、
今回は混雑するだろうし、あらかじめチェック)
開門前から並ぶつもりなので、最初のフロア(ロビー階)を飛ばし、1階に展示されている
≪動植綵絵≫から先に見てもいいかもしれない、なんて考えていたほどです。
ところが、まさかの人出。混むのは予想していましたが、甘かった。大甘でした。
1階からロビー階へ戻っても大変なことになりそうだし、順番に見て行こうと心に決めました。
が。
なんだか、心が落ち着かず。
この上のフロアに≪動植綵絵≫があるかと思うと。
さらに、その上にはプライスコレクションや≪象と鯨図屏風≫が待っているかと思うと。
ロビー階で一番混んでいたのは、83年ぶりの発見されたという岡田美術館所蔵の
≪孔雀鳳凰図≫。
他の作品は、さほど列になることもなく見ることができました。
入口近くにある≪糸瓜群虫図≫の前には、誰もいなかったんです!!
皆さん、やはり気が急いているせいでしょうか。
1階の≪釈迦三尊像≫&≪動植綵絵≫展示。ここはもう。うん。
9年ぶりの顔合わせ、しかも次回は何時見られるか分からないと思ったら
大混雑にもなりますよね。満員電車のような感じで、でも絶対一番前で見たいと
思ったので、粘り強く待ちました。
ここだけで1時間以上かかった気がします。
それにしても大きかったなぁ。1枚描くだけでも相当な体力と精神力だと思うのですが。
すべての作品を10年ぐらいかけて仕上げているとはいえ、他の作品の制作もあった訳で。
うむー。超人すぎる。
さて。問題は、というか個人的に一番残念だったのは1階2階の展示です。
展示されている作品は、どれも素晴らしかったです。
正しく書きますと、1階2階の展示方法が残念すぎました。
まず壁の色。
画遊人、若冲(2)コーナーの壁の色。
薄いピンク。
私としては嫌いじゃない色。
色は嫌いじゃない。
けれど、美術館の展示にあの色は...
どうしても目に入ってしまうのです。
近くに寄って作品を見ているときはいいのですが。
離れたところから屏風図を見ようとすると、どーーーしても視界に入るピンク。
っていうか、作品の後ろもピンクになってるから、どうしたって視界に入るピンク。
お分かりいただけましたでしょうか?
せっかく、MIHO MUSEUMから≪象と鯨図屏風≫が来てくれたのに。
なのに、海の風景とマッチしないピンク。
どうしてくれよう。
しかも、≪象と鯨図屏風≫と向かい合って展示されている≪仙人掌群鶏図襖絵≫。
ここの距離が短すぎて、とてもじゃないけれど≪象と鯨図屏風≫の良さが分からない。
あんなにサントリー美術館で見て、感動して、展示を一通り見てから何度も何度も戻って
見に行った、あの作品と同じ作品とは思えない。
書いていて、だんだん哀しくなってきました。
わたしゃねぇ、今まで展示方法について文句書いたことないんです。
あー、もうちょっと工夫できなかったのかなぁと思ったことはあっても
ここまで思ったことは一回もなかった。
だって≪象と鯨図屏風≫の前に、常に人が2・3人しかいないんです。
信じられますか?普通だったら、なんてラッキー!!ってなると思うんです。
でも、あの場所ではそうなっても仕方ないと個人的には思いました。
可哀そうだ。可哀そうすぎるよ。ううう
≪仙人掌群鶏図襖絵≫の裏に≪蓮池図≫を展示したかったお気持ちは
お察しします。もとは、同じ襖の裏と表に描かれていたそうですし。
だから、展示方法としては私も良かったな、と思うんです。
まぁ、それだけのせいじゃないとは思いますが展示スペースが1階2階は全体的に
狭くなりすぎてしまって。
実にもったいなかった。あれだけ良い作品を並べているのに、あれじゃ勿体ない。
勿体なさすぎるよ。
あと、係りの人の誘導が......
「列に並ばなくても、2列目からみたらいい」的な案内なんです。
2列目から見られるなら、みんな見てますって。
それでも見えないから、みんな自然発生した列を作って一番前で見たいと思ってるのに
「私たちは、列を作って見てくださいとはいってません」的な。
混んでしまうから、人が滞留しないようにしたいのは分かりますが。
だって、せっかく来たんですもの。
ゆっくりは見られなくても、せめて間近で見たいと思うのが人情ではございませぬか?
≪鳥獣花木図屏風≫を見たい人たちの列で≪虎図≫が見えなくなってしまったり
≪菜蟲譜≫を見たくてもオカシナ誘導のせいで、どんどん割り込みが入り
増々見るのに時間がかかったり。
これから迎えるゴールデンウィークは、一体どのように人を誘導するんでしょう。
声を大にして、否、文字の大きさを大にして書きます。
作品がいいのに、作品がいいからこそ、
あの展示は勿体ない!!!!!
でもなぁ、そんなこと書いている人、今のところ見かけないしなぁ。
私だけなのかもしれません。
ぐす。
先ほどの動画のように、あれだけ空いていたらスペースは気にならないかも
しれませんが。
そんな訳で、作品には大満足したものの、展示にストレスを感じてしまったという
切なさを訴えさせていただきました。
一応、係りの方には誘導の件について進言したのですが全く聞く耳を持っていただけず。
他にも同じことを言う人々がいたので、少しは改善されることを祈ります。
壁の色は塗り替え無理でしょうけど。ううう。
誰だ―、あそこをあの色に指定したのはーーーーーー!!!
ご清聴ありがとうございました。
.
美術館へ到着したのは8時50分頃。
そこには想像を遥かに超える長蛇の列。
あれ。
今日、平日の水曜日だよね??と、携帯を見て確認したほど。
400人ぐらいは並ばれていたのではないでしょうか。
一番前の方は6:30から並ばれていたそうです!!
いやぁ、甘かった。
昨日も、かなりの盛況ぶりだったようですが。
今日は、昨日よりも並ぶ人が増えていると職員の方が仰ってました。
映画にネタバレがあるように。
展覧会についても、会場に行ってから展示の順番を知りたい!
と思われる方もいらっしゃるかもしれないので。
その感想は、のちほど書くことにしまして。
まずは、購入した若冲展グッズについて。
といっても今回は、ほとんど絵葉書ばかりですが......
ものすごーく折り目がついてますが、グッズを入れてくれる袋です。
ただし、この袋にはマチがないため、図録と併せてグッズを購入した場合は
この袋ではなく、何の変哲もないビニール袋となりました。
≪菊花流水図≫ A5版クリアファイル
クリアファイルで、結構皆さんが手にされていたのは≪動植綵絵≫の絵が全て入った
A4のクリアファイル。
私、まったく見つけられなかったんですけど。おかしいなぁ。
後期展示を見に行ったときに探してみます。
※追記※ 5/21に購入できました!購入したグッズ その②に載せました。
≪鳥獣花木図屏風 六曲一双≫ メモ帳
大きさは、通常の絵葉書よりも少し小さめです。
絵葉書いろいろ
右下≪椿に白頭図≫ (背景が黒い図)の作品だけは、今回の展覧会グッズではなく
平木浮世絵財団が印刷した絵葉書きです。
そして、噂通りでした。
ありました、ありました、≪動植綵絵≫全種類の絵葉書。
1セット6枚ずつ入っておりまして、それが5セット。
≪釈迦三尊像≫セットには(当たり前ですが)3枚。
絵葉書を止めている帯の色が違うので、同じセットを買ってしまった!なんてことは
まずないと思われます。たぶん。
まぁ、それぞれ1枚目の絵が違うから重複してたらすぐに気づくはず。うん。
ふふふ。
これで、いつでも展覧会の様子を再現できる訳ですね。
じっくりと1枚ずつ近くで見られたけれど、全体を見渡すには人が多すぎて
並び順を楽しむとか、左側と右側の絵の並びを比較するということが難しかったので
絵葉書で再現して楽しみます。うう。
ちなみに、グッズ購入までは30分並びました。
そして、これは東京都美術館の常設ミュージアムショップで購入した
≪白象群獣図≫のA4クリアファイル。
※ こちらの作品の展示は、今回の展覧会にはございません。
(はい、でも買ってしまいました。サントリー美術館で見たときは、クリアファイルには
なっていなかった、ような??)
さて。
ここから下は、展覧会の状況や感想やら。
そして、気になった点を。いや、すみません、気になりすぎた点を。
あの、進むほどに愉快な内容ではないのでお気を付けください。
でも、書かずにはいられない......
*************************************************************
これまで遠足でも、運動会でも、楽しすぎて前夜眠れなかった!なんて
記憶が一度もない私ですが。
今回の若冲展は愉しみすぎて、昨日はよく眠れませんでした。
眠れないなら、作品を見る順番を考えてみよう、なんて思いまして
(いつもなら展示作品リストを先に見ることすらしないのですが、
今回は混雑するだろうし、あらかじめチェック)
開門前から並ぶつもりなので、最初のフロア(ロビー階)を飛ばし、1階に展示されている
≪動植綵絵≫から先に見てもいいかもしれない、なんて考えていたほどです。
ところが、まさかの人出。混むのは予想していましたが、甘かった。大甘でした。
1階からロビー階へ戻っても大変なことになりそうだし、順番に見て行こうと心に決めました。
が。
なんだか、心が落ち着かず。
この上のフロアに≪動植綵絵≫があるかと思うと。
さらに、その上にはプライスコレクションや≪象と鯨図屏風≫が待っているかと思うと。
ロビー階で一番混んでいたのは、83年ぶりの発見されたという岡田美術館所蔵の
≪孔雀鳳凰図≫。
他の作品は、さほど列になることもなく見ることができました。
入口近くにある≪糸瓜群虫図≫の前には、誰もいなかったんです!!
皆さん、やはり気が急いているせいでしょうか。
1階の≪釈迦三尊像≫&≪動植綵絵≫展示。ここはもう。うん。
9年ぶりの顔合わせ、しかも次回は何時見られるか分からないと思ったら
大混雑にもなりますよね。満員電車のような感じで、でも絶対一番前で見たいと
思ったので、粘り強く待ちました。
ここだけで1時間以上かかった気がします。
それにしても大きかったなぁ。1枚描くだけでも相当な体力と精神力だと思うのですが。
すべての作品を10年ぐらいかけて仕上げているとはいえ、他の作品の制作もあった訳で。
うむー。超人すぎる。
さて。問題は、というか個人的に一番残念だったのは
展示されている作品は、どれも素晴らしかったです。
正しく書きますと、
まず壁の色。
画遊人、若冲(2)コーナーの壁の色。
薄いピンク。
私としては嫌いじゃない色。
色は嫌いじゃない。
けれど、美術館の展示にあの色は...
どうしても目に入ってしまうのです。
近くに寄って作品を見ているときはいいのですが。
離れたところから屏風図を見ようとすると、どーーーしても視界に入るピンク。
っていうか、作品の後ろもピンクになってるから、どうしたって視界に入るピンク。
お分かりいただけましたでしょうか?
せっかく、MIHO MUSEUMから≪象と鯨図屏風≫が来てくれたのに。
なのに、海の風景とマッチしないピンク。
どうしてくれよう。
しかも、≪象と鯨図屏風≫と向かい合って展示されている≪仙人掌群鶏図襖絵≫。
ここの距離が短すぎて、とてもじゃないけれど≪象と鯨図屏風≫の良さが分からない。
あんなにサントリー美術館で見て、感動して、展示を一通り見てから何度も何度も戻って
見に行った、あの作品と同じ作品とは思えない。
書いていて、だんだん哀しくなってきました。
わたしゃねぇ、今まで展示方法について文句書いたことないんです。
あー、もうちょっと工夫できなかったのかなぁと思ったことはあっても
ここまで思ったことは一回もなかった。
だって≪象と鯨図屏風≫の前に、常に人が2・3人しかいないんです。
信じられますか?普通だったら、なんてラッキー!!ってなると思うんです。
でも、あの場所ではそうなっても仕方ないと個人的には思いました。
可哀そうだ。可哀そうすぎるよ。ううう
≪仙人掌群鶏図襖絵≫の裏に≪蓮池図≫を展示したかったお気持ちは
お察しします。もとは、同じ襖の裏と表に描かれていたそうですし。
だから、展示方法としては私も良かったな、と思うんです。
まぁ、それだけのせいじゃないとは思いますが展示スペースが
狭くなりすぎてしまって。
実にもったいなかった。あれだけ良い作品を並べているのに、あれじゃ勿体ない。
勿体なさすぎるよ。
あと、係りの人の誘導が......
「列に並ばなくても、2列目からみたらいい」的な案内なんです。
2列目から見られるなら、みんな見てますって。
それでも見えないから、みんな自然発生した列を作って一番前で見たいと思ってるのに
「私たちは、列を作って見てくださいとはいってません」的な。
混んでしまうから、人が滞留しないようにしたいのは分かりますが。
だって、せっかく来たんですもの。
ゆっくりは見られなくても、せめて間近で見たいと思うのが人情ではございませぬか?
≪鳥獣花木図屏風≫を見たい人たちの列で≪虎図≫が見えなくなってしまったり
≪菜蟲譜≫を見たくてもオカシナ誘導のせいで、どんどん割り込みが入り
増々見るのに時間がかかったり。
これから迎えるゴールデンウィークは、一体どのように人を誘導するんでしょう。
声を大にして、否、文字の大きさを大にして書きます。
作品がいいのに、作品がいいからこそ、
あの展示は勿体ない!!!!!
でもなぁ、そんなこと書いている人、今のところ見かけないしなぁ。
私だけなのかもしれません。
ぐす。
先ほどの動画のように、あれだけ空いていたらスペースは気にならないかも
しれませんが。
そんな訳で、作品には大満足したものの、展示にストレスを感じてしまったという
切なさを訴えさせていただきました。
一応、係りの方には誘導の件について進言したのですが全く聞く耳を持っていただけず。
他にも同じことを言う人々がいたので、少しは改善されることを祈ります。
壁の色は塗り替え無理でしょうけど。ううう。
誰だ―、あそこをあの色に指定したのはーーーーーー!!!
ご清聴ありがとうございました。
.
#
by yui_usakame
| 2016-04-27 22:26
| 美術展
若冲展 特別記念講演③
若冲展の特別記念講演で聞いた話を、メモを頼りに書き起こしております。
①は、こちらです。
②は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
**********************************************************
■オクラホマのプライス邸内の展示室
Y「(プライス邸内に)日本美術を展示するためのスペースを作られた。
辻先生は、ここに行かれてるわけですね?」
T「(部屋の形が)六角形か、八角形か」
E「六角形です」
T「六角形ですね
(ここで辻先生が色々と部屋の説明をされたのですが、私の手が追いつかず残念)
非常に素晴らしい建物だったんですが、問題は この部屋の真ん中に
池があること。これは驚いた。これは乾燥を防ぐためとか」
Y「先生は落ちてない?」
E「一人だけです、落ちた方は」
Y「その方、私よく知ってます」
E「皆、自然光で見られるようになってまして」
Y「このこだわりは凄くて。ナチュラルライト。
日本の絵は自然光で見るべきである、と。人工照明でなく見られるようになっている」
Y「残念ながら、この建物は放火によって燃えてしまったんですね。
何年でしたか?」
するとエツコさんが客席の一番前に座っている男性に向かって
「先生、何年でしたか?私、すぐ先生に連絡して。何年か覚えてないんですけど」
あとで調べたところ、放火は1996年のことだそうで。
そしてエツコさんが「先生」と語りかけたのは小林忠氏ということが
のちのち判明しました。
Wikipediaによると、エツコさんは小林氏のもとで美術史を学んだそうで。
E「もうカリフォルニアへいった頃ですから、15年ぐらい前?」
山下氏自身はオクラホマの家へはお邪魔したことはなく、
カリフォルニアへ行ってから知り合った、とのこと。
■若冲『紫陽花双鶏図』などが室内に飾られている写真
Y「今展示されている『紫陽花双鶏図』が見えます。
プライスコレクションの中でも最も素晴らしい若冲の絵。
手前にあるのは葛蛇玉(かつ じゃぎょく)という、ほとんど一般に知られていない
名前ですがプライスさんが見いだされた江戸時代の画家と言っていいと思います」
■和風の部屋で食事をしている写真
机の上にキリンビールのラベルが見えました。
Y「これは、かなり進んでますね」
(食事の話かと思いきや、辻先生の髪の毛の話でした)
Y「これはいつの頃か記憶ありますか?推定年齢は?」
T「ヒゲが生えているので、1つの年代を確定するあれなんですが...
ちょっと覚えていない」
■ご夫妻、辻先生、山根有三先生の写真
Y「山根先生は、辻先生のさらに先生にあたられる方。
プライスさんは日本にしょっちゅういらしていて、そのたびに辻先生および
日本の研究者たちと交流を重ねてこられた」
■MIHO MUSEUM前のご夫妻と男性の写真
Y「辻先生は、この3月までMIHO MUSEUMの館長でいらした。
今回の若冲展にもMIHO MUSEUM所蔵の≪象と鯨図屏風≫などが出ていますが
その美術館を夫妻が訪ねられた。
こちら(の男性)は、この展覧会を監修されている小林忠先生です」
■現在のプライス邸の写真
この写真は山下氏が撮影したそうで。
Y「これが現在のプライスさんのお宅。コロナ・デル・マーというロサンゼルス郊外の
車で一時間弱ぐらいのところ」
こちらのページで、プライス邸の写真が何枚か見られました。
■プライス邸の敷地内の写真
Y「玄関入って、向こう側は太平洋に面していて。プライベートビーチになっています。
外壁は木を一枚一枚貼り重ねて曲面を作っています。
設計はどなたが?」
E「Mr.ゴフの一番弟子でMr.Bart Princeという方。
Mr.ゴフもMr.プリンスも、どちらかというとガウディ系ですね。
ガウディを大変尊敬していた」
■プライス邸のバスルームの写真
これだー!かなり前に雑誌で見たことあるーーー!
こちらで1枚写真が見られます。
Y「そしてプライス邸のバスルームは、モザイクで若冲の屛風を再現して
います」
(≪鳥獣花木図屏風≫という作品を再現しているそうです)
雑誌で初めて写真を見たとき、なんだか面白そうなご夫妻だなぁって思った記憶が。
まさか数年後に、ご本人たちから直接お話が聞けるとは思いませんでした。
■ジョーさんが掛け軸を広げている写真
Y「ジョーさんが広げている≪葡萄図≫は展覧会にも展示されています」
■≪葡萄図≫の落款がアップになった写真
Y「この作品には景和(けいわ)という落款があります。
この展覧会には何点か景和落款という作品がでていますが、これは若冲の
ごく初期の作品。
辻先生、景和落款の作品は30代と考えていいですか?」
T「そうですね40歳前まですね。
何年ぐらいまでかは分からないけれど、数年間でしょうね」
Y「30代半ばから後半にかけて、この落款を使っていた時期がある、と。
あまり作品自体は多くないですね?」
T「そんなに4つも5つもないないですかねぇ...」
Y「数点ですよね」
■≪葡萄図≫の写真
Y「この≪葡萄図≫がプライスさんが初めて購入された作品です。
有名な話ですが、フランク・ロイド・ライトと一緒にニューヨークの街を歩いていた、と。
ライトがセオ商店という古美術店へ入っていった。
プライスさんは何もわからず、ただついて行って。
その時、ライトは浮世絵ばかり見ていたんですよね?
≪葡萄図≫は、壁にかけてあったのですか?」
E「ニューヨークにMr.ライトと行ったときは、(ライトが)グッゲンハイム美術館を
建てていて。
古美術商のお店に一緒に入ってMr.ライトの後ろで非常に退屈していたんですが
後ろの壁に、この絵が飾ってあって。
すごく気になっていたんだけれど、Mr.ライトの御付きできているものですから
自由にはできなくて。
Mr.ライトをプラザホテルまでお送りして、また同じ店に戻った、と。
Mr.ライトから教わっている自然の本質というものが良く出ていて、それでこの作品が
欲しいと思い購入した、と」
Y「その時点では、まったく若冲という名前はご存じなかった?」
E「全然。ホテルからお店へ戻る間に絵が売れてしまっているんじゃないかと非常に
ドキドキした、と。よっぽど好きだったみたいです」
Y「それが1953年ですね。23~24歳の頃」
E「他にも数点見ていたようですが、Mr.ライトが「青年には、この作品は良すぎる」とか
言って自分で買って持って帰ったものもあったようです」
Y「ライトって人は、かなり癖のあった人物だったようで。
ニューヨークの街を歩いていても、赤信号も平気で渡っていって。
私のために車は止まるべきだ、とか言って」
ほほー、ライト氏についても知りたくなってきました。
学生の頃、明治村まで行っておきながら帝国ホテル(の中央玄関)を
見てないんですよねぇ。
今思うと、勿体ないことをしたと思いつつ......
という訳で、またも次へ続くのでありました。
.
①は、こちらです。
②は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
**********************************************************
■オクラホマのプライス邸内の展示室
Y「(プライス邸内に)日本美術を展示するためのスペースを作られた。
辻先生は、ここに行かれてるわけですね?」
T「(部屋の形が)六角形か、八角形か」
E「六角形です」
T「六角形ですね
(ここで辻先生が色々と部屋の説明をされたのですが、私の手が追いつかず残念)
非常に素晴らしい建物だったんですが、問題は この部屋の真ん中に
池があること。これは驚いた。これは乾燥を防ぐためとか」
Y「先生は落ちてない?」
E「一人だけです、落ちた方は」
Y「その方、私よく知ってます」
E「皆、自然光で見られるようになってまして」
Y「このこだわりは凄くて。ナチュラルライト。
日本の絵は自然光で見るべきである、と。人工照明でなく見られるようになっている」
Y「残念ながら、この建物は放火によって燃えてしまったんですね。
何年でしたか?」
するとエツコさんが客席の一番前に座っている男性に向かって
「先生、何年でしたか?私、すぐ先生に連絡して。何年か覚えてないんですけど」
あとで調べたところ、放火は1996年のことだそうで。
そしてエツコさんが「先生」と語りかけたのは小林忠氏ということが
のちのち判明しました。
Wikipediaによると、エツコさんは小林氏のもとで美術史を学んだそうで。
E「もうカリフォルニアへいった頃ですから、15年ぐらい前?」
山下氏自身はオクラホマの家へはお邪魔したことはなく、
カリフォルニアへ行ってから知り合った、とのこと。
■若冲『紫陽花双鶏図』などが室内に飾られている写真
Y「今展示されている『紫陽花双鶏図』が見えます。
プライスコレクションの中でも最も素晴らしい若冲の絵。
手前にあるのは葛蛇玉(かつ じゃぎょく)という、ほとんど一般に知られていない
名前ですがプライスさんが見いだされた江戸時代の画家と言っていいと思います」
■和風の部屋で食事をしている写真
机の上にキリンビールのラベルが見えました。
Y「これは、かなり進んでますね」
(食事の話かと思いきや、辻先生の髪の毛の話でした)
Y「これはいつの頃か記憶ありますか?推定年齢は?」
T「ヒゲが生えているので、1つの年代を確定するあれなんですが...
ちょっと覚えていない」
■ご夫妻、辻先生、山根有三先生の写真
Y「山根先生は、辻先生のさらに先生にあたられる方。
プライスさんは日本にしょっちゅういらしていて、そのたびに辻先生および
日本の研究者たちと交流を重ねてこられた」
■MIHO MUSEUM前のご夫妻と男性の写真
Y「辻先生は、この3月までMIHO MUSEUMの館長でいらした。
今回の若冲展にもMIHO MUSEUM所蔵の≪象と鯨図屏風≫などが出ていますが
その美術館を夫妻が訪ねられた。
こちら(の男性)は、この展覧会を監修されている小林忠先生です」
■現在のプライス邸の写真
この写真は山下氏が撮影したそうで。
Y「これが現在のプライスさんのお宅。コロナ・デル・マーというロサンゼルス郊外の
車で一時間弱ぐらいのところ」
こちらのページで、プライス邸の写真が何枚か見られました。
■プライス邸の敷地内の写真
Y「玄関入って、向こう側は太平洋に面していて。プライベートビーチになっています。
外壁は木を一枚一枚貼り重ねて曲面を作っています。
設計はどなたが?」
E「Mr.ゴフの一番弟子でMr.Bart Princeという方。
Mr.ゴフもMr.プリンスも、どちらかというとガウディ系ですね。
ガウディを大変尊敬していた」
■プライス邸のバスルームの写真
これだー!かなり前に雑誌で見たことあるーーー!
こちらで1枚写真が見られます。
Y「そしてプライス邸のバスルームは、モザイクで若冲の屛風を再現して
います」
(≪鳥獣花木図屏風≫という作品を再現しているそうです)
雑誌で初めて写真を見たとき、なんだか面白そうなご夫妻だなぁって思った記憶が。
まさか数年後に、ご本人たちから直接お話が聞けるとは思いませんでした。
■ジョーさんが掛け軸を広げている写真
Y「ジョーさんが広げている≪葡萄図≫は展覧会にも展示されています」
■≪葡萄図≫の落款がアップになった写真
Y「この作品には景和(けいわ)という落款があります。
この展覧会には何点か景和落款という作品がでていますが、これは若冲の
ごく初期の作品。
辻先生、景和落款の作品は30代と考えていいですか?」
T「そうですね40歳前まですね。
何年ぐらいまでかは分からないけれど、数年間でしょうね」
Y「30代半ばから後半にかけて、この落款を使っていた時期がある、と。
あまり作品自体は多くないですね?」
T「そんなに4つも5つもないないですかねぇ...」
Y「数点ですよね」
■≪葡萄図≫の写真
Y「この≪葡萄図≫がプライスさんが初めて購入された作品です。
有名な話ですが、フランク・ロイド・ライトと一緒にニューヨークの街を歩いていた、と。
ライトがセオ商店という古美術店へ入っていった。
プライスさんは何もわからず、ただついて行って。
その時、ライトは浮世絵ばかり見ていたんですよね?
≪葡萄図≫は、壁にかけてあったのですか?」
E「ニューヨークにMr.ライトと行ったときは、(ライトが)グッゲンハイム美術館を
建てていて。
古美術商のお店に一緒に入ってMr.ライトの後ろで非常に退屈していたんですが
後ろの壁に、この絵が飾ってあって。
すごく気になっていたんだけれど、Mr.ライトの御付きできているものですから
自由にはできなくて。
Mr.ライトをプラザホテルまでお送りして、また同じ店に戻った、と。
Mr.ライトから教わっている自然の本質というものが良く出ていて、それでこの作品が
欲しいと思い購入した、と」
Y「その時点では、まったく若冲という名前はご存じなかった?」
E「全然。ホテルからお店へ戻る間に絵が売れてしまっているんじゃないかと非常に
ドキドキした、と。よっぽど好きだったみたいです」
Y「それが1953年ですね。23~24歳の頃」
E「他にも数点見ていたようですが、Mr.ライトが「青年には、この作品は良すぎる」とか
言って自分で買って持って帰ったものもあったようです」
Y「ライトって人は、かなり癖のあった人物だったようで。
ニューヨークの街を歩いていても、赤信号も平気で渡っていって。
私のために車は止まるべきだ、とか言って」
ほほー、ライト氏についても知りたくなってきました。
学生の頃、明治村まで行っておきながら帝国ホテル(の中央玄関)を
見てないんですよねぇ。
今思うと、勿体ないことをしたと思いつつ......
という訳で、またも次へ続くのでありました。
.
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by yui_usakame
| 2016-04-25 23:34
| 美術展
若冲展 特別記念講演②
若冲展の特別記念講演で聞いた話を、メモを頼りに
書き起こしております。
①は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
**********************************************************
スライドを使って、ジョー・プライス氏を紹介するコーナー。
■馬に乗っている人々の写真
Y「これはオクラホマ。ジョーさんの生まれ故郷。
右から2人目が幼いころのジョーさん。何歳ごろの?」
J「No」
E「あんまり覚えてないと思うんですが、5~6歳でしょうか。
真ん中が父親です」
■飛行機の前で笑顔で立っている男女の写真
Y「これが(ジョーさんの)お父様とお母様。
飛行機ですが、これは自家用飛行機」
Y「ジェットじゃないけれど、プロペラ。DC3という28人乗りの
自家用飛行機の前で。お父様はどうゆう仕事を?」
E「初めてパイプラインの溶接を始めた人物。高校を卒業後、専門学校で
溶接を学んで、パイプのコーティングをしたり」
Y「石油のパイプラインの溶接技術の特許を持っていらして、財を成された、と」
■男性2人の写真
Y「これが、お父様と建築家のフランク・ロイド・ライトと一緒にいる写真。
ジョンさんが大学を卒業されたころにライトが設計したプライスカンパニーの
ビルを建てることになったんですよね?」
E「大学の時です」
■ビルの写真
Y「これが完成したプライスタワー。確か19階建ての建物。
そして、今アメリカの文化財の指定されている」
E「一応、政府からは国宝になっているけれど、今年の8月に世界遺産に
なるかならないかが」
会場内どよめき。
Y「(現在は)いわゆる登録文化財みたくなっている」
プライスタワーの写真は、こちらで見られます。
うむむ、こんなにもスケールの大きな話になるとは。
Y「このタワー建設のために、ジョーさんはライトとお父様のコーディネートをするような
仕事をするようになったということでよろしいですか?」
E「このタワーの技術方面を彼(ジョーさん)がしていたので、父親とMr.ライトの間に
挟まってピンポンゲームのような感じで大変苦労した、と。
それでMr.ライトと交流があってニューヨークも一緒に行った、と」
Y「あとでまた出てきますが、ライトと共に行ったニューヨークのアンティークショップで
若冲の絵と出会われる、と」
■タヒチにて撮られたという写真。男女数名が映っていました。
タヒチにてとキャプションがついていましたが、どうやらこれはタヒチから帰ってきた後
家でタヒチパーティーをやったときのものではないか?とエツコさん。
「それは失礼しました」と言った後、何事もなかったかのように
「次へ行きましょう」という山下氏。
■上半身裸で腕組みしてる若き日のジョーさんの写真。どうやら船の上にいる様子。
E「これが仕事が嫌になって、プライスタワーも完成するということで
帆船に乗ってサンフランシスコからタヒチに向かった」
Y「帆船を買われて、太平洋を」
E「買わざるを得なかったようです。映画俳優さんが持っていた帆船を(今までは)
借りていたが買わなければタヒチに到着しないとか、で」
帆船の名前は”ワンダラー”だそうで。
はて、どなたから買われたのかしら。
ここで少々、ジョーさんとエツコさんが押し問答を始めました。
Y「なんだか少々揉めているようで」
この絶妙なツッコミ。
山下氏に弟子入りさせていただきたい。
どうやらご夫妻の間で、年齢?年代?のことで食い違いがあったようでして。
Y「まぁ、この加山雄三風の写真は、いずれにせよ会社の仕事に嫌気がさして
太平洋の男となっておられた頃ですね」
■ご夫妻の結婚式(?)の写真
ここで会場から、「おお~」「可愛い~」という声が。
エツコさん、自分を指さしておられました。可愛らしい。
Y「これはどこですか?」
E「これは結婚してタヒチへ行ったとき。25(歳)と35(歳)のとき」
■日本の漁港らしきところに立っているご夫妻
ジョーさんはスーツ、エツコさんはお着物だったような?
”新婚当時、別府にて”とのキャプション
E「これは熊本かどこかに」
すかさず「別府みたいですね」とツッコミ入れる山下氏。
Y「ジョーさんが初めて日本に来られたのが1963年」
E「その時、彼は美術館に行ったりお寺に行ったりで私が案内した」
Y「案内した、それがきっかけだった。そして九州まで行かれてるんですね。
聞いた話だと、別府から京都までタクシーで行かれたと」
E「それは結婚前で。1963年の後半に(ジョーさんと)会ったんですけれど
1963年の前半に、彼はサンフランシスコから来ていた男性たち3名と
京都からタクシーで九州へ行き京都へ戻ってきた、と。
Y「そのタクシーの運転手も、さぞやびっくりしたでしょうねぇ」
E「その時、タクシーの運転手さんが皆生(かいき)温泉へ行ったらどうですか?と。
(エツコさんと出会う前の話なので、あとで聞いた話だそうです)
私は皆生温泉の近くで育っています。
男性3人、同じ旅館に泊まった時「ヌードルショーを見に行きなさい」と女将さんに言われ
見に行ったら実際はヌードショーだったらしくて。
非常に日本の山陰道を楽しんだ、と。
その後に私と出会って、君は山陰地方の人か、と」
Y「その話は初めて聞きました」
■ワイナリーにて 1972年のキャプション
Y「これは結婚されてしばらくたってからですね」
(ご結婚は1966年)
ここで辻氏が「これはねぇ、私が」と言いかけて、すかさず山下氏に
「先生、マイクをお願いします!」と叫ばれてました。
T「これは私が招かれてシアトル経由でカリフォルニアへ。
カリフォルニアのワイナリーで撮った写真です」
なんと撮影者は辻氏だった、と。
Y「そもそも、最初にプライスさんと会ったのは先生が東京文化財研究所に
お勤めの時だった?」
T「そうですね」
Y「それは誰かに紹介されたのですか?」
E「京都で、若冲の絵を探しているなら東京に ひじょ~に変わった先生が
いるから。あの先生も、一人で若冲研究しているから、と」
Y「要するに、一人で研究している人と、一人で集めている人」
笑いすぎて、お腹痛い。
私の文才じゃ、あの見事な掛け合いを再現できなくて申し訳ないのですが。
漫才でもやってますか?!ぐらいなテンポの良さで。
愉しかったなぁ。しみじみ。
Y「それから50年経って、ようやくこれだけ沢山の人が共感してくれるようになって。
先生、この時初めてアメリカに?」
T「そうです」
■湖を見下ろせる高台にいる辻先生
E「レークタホのエメラルド・ベイという美しいところで昼食を」
Wikipediaによりますと
>タホ湖は、アメリカ合衆国カリフォルニア州とネバダ州の州境の
>シエラネヴァダ山中にある湖である。
T「1972年ですから、先生ちょうど40歳頃」
T「お若いですね。ちょっと、兆候はありますが」
そう言って、レーザーポインターで額のあたりをクルクル。
こ、この師弟関係面白すぎるんですけど。
辻氏、いじられても全く動じません。
■オクラホマにあったプライス邸の外観写真
ブルース・ゴフ氏が設計したそうで
Y「ブルース・ゴフは、フランク・ロイド・ライトの友人にあたる人で
プライスさんに若冲という存在を教えてくれたのがブルース・ゴフだった
訳ですね。そのことについて、プライスさん教えてください」
E「(ジョーさんが)オクラホマ大学在学中に、Mr.ゴフはオクラホマ大学の
建築学部長だったんです。
彼(ジョーさん)は建築学部の学生じゃないけれど、毎金曜日にクラシック音楽の
コンサートが放課後にあって、そこでMr.ゴフと知り合った。
その前に、彼が学生新聞に写真を出してMr.ゴフが「この学生に会いたい」と。
初めはMr.ゴフからジョー・プライスにアプローチした、と。
父親が会社の本社を建てたいと言った時に、Mr.ゴフに相談したら
Mr.ライトを紹介してあげるから、ということで」
■オクラホマにあったプライス邸の内部写真
E「これが居間です」
丸く大きな赤い玉を見て
Y「これは何ですか?!」
E「これは椅子です。今流行ってますけれど、当時非常にモダンな」
ここで、家の話を始めるジョーさん。
この家は3段階へているそうで
E「初めは(ジョーさんが)独身の頃。
ちょうど私がオクラホマに来た頃に完成していた。
キッチンが狭くて、半畳ほどしかなくて」
Y「増築を重ねられているんですね」
E「3回目は子供ができて、3階を自分のオフィスにするために」
と、またも長くなりましたのでここで〆ます。
これでまだ講演の3分の1ぐらいだったりします。
.
書き起こしております。
①は、こちらです。
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
**********************************************************
スライドを使って、ジョー・プライス氏を紹介するコーナー。
■馬に乗っている人々の写真
Y「これはオクラホマ。ジョーさんの生まれ故郷。
右から2人目が幼いころのジョーさん。何歳ごろの?」
J「No」
E「あんまり覚えてないと思うんですが、5~6歳でしょうか。
真ん中が父親です」
■飛行機の前で笑顔で立っている男女の写真
Y「これが(ジョーさんの)お父様とお母様。
飛行機ですが、これは自家用飛行機」
Y「ジェットじゃないけれど、プロペラ。DC3という28人乗りの
自家用飛行機の前で。お父様はどうゆう仕事を?」
E「初めてパイプラインの溶接を始めた人物。高校を卒業後、専門学校で
溶接を学んで、パイプのコーティングをしたり」
Y「石油のパイプラインの溶接技術の特許を持っていらして、財を成された、と」
■男性2人の写真
Y「これが、お父様と建築家のフランク・ロイド・ライトと一緒にいる写真。
ジョンさんが大学を卒業されたころにライトが設計したプライスカンパニーの
ビルを建てることになったんですよね?」
E「大学の時です」
■ビルの写真
Y「これが完成したプライスタワー。確か19階建ての建物。
そして、今アメリカの文化財の指定されている」
E「一応、政府からは国宝になっているけれど、今年の8月に世界遺産に
なるかならないかが」
会場内どよめき。
Y「(現在は)いわゆる登録文化財みたくなっている」
プライスタワーの写真は、こちらで見られます。
うむむ、こんなにもスケールの大きな話になるとは。
Y「このタワー建設のために、ジョーさんはライトとお父様のコーディネートをするような
仕事をするようになったということでよろしいですか?」
E「このタワーの技術方面を彼(ジョーさん)がしていたので、父親とMr.ライトの間に
挟まってピンポンゲームのような感じで大変苦労した、と。
それでMr.ライトと交流があってニューヨークも一緒に行った、と」
Y「あとでまた出てきますが、ライトと共に行ったニューヨークのアンティークショップで
若冲の絵と出会われる、と」
■タヒチにて撮られたという写真。男女数名が映っていました。
タヒチにてとキャプションがついていましたが、どうやらこれはタヒチから帰ってきた後
家でタヒチパーティーをやったときのものではないか?とエツコさん。
「それは失礼しました」と言った後、何事もなかったかのように
「次へ行きましょう」という山下氏。
■上半身裸で腕組みしてる若き日のジョーさんの写真。どうやら船の上にいる様子。
E「これが仕事が嫌になって、プライスタワーも完成するということで
帆船に乗ってサンフランシスコからタヒチに向かった」
Y「帆船を買われて、太平洋を」
E「買わざるを得なかったようです。映画俳優さんが持っていた帆船を(今までは)
借りていたが買わなければタヒチに到着しないとか、で」
帆船の名前は”ワンダラー”だそうで。
はて、どなたから買われたのかしら。
ここで少々、ジョーさんとエツコさんが押し問答を始めました。
Y「なんだか少々揉めているようで」
この絶妙なツッコミ。
山下氏に弟子入りさせていただきたい。
どうやらご夫妻の間で、年齢?年代?のことで食い違いがあったようでして。
Y「まぁ、この加山雄三風の写真は、いずれにせよ会社の仕事に嫌気がさして
太平洋の男となっておられた頃ですね」
■ご夫妻の結婚式(?)の写真
ここで会場から、「おお~」「可愛い~」という声が。
エツコさん、自分を指さしておられました。可愛らしい。
Y「これはどこですか?」
E「これは結婚してタヒチへ行ったとき。25(歳)と35(歳)のとき」
■日本の漁港らしきところに立っているご夫妻
ジョーさんはスーツ、エツコさんはお着物だったような?
”新婚当時、別府にて”とのキャプション
E「これは熊本かどこかに」
すかさず「別府みたいですね」とツッコミ入れる山下氏。
Y「ジョーさんが初めて日本に来られたのが1963年」
E「その時、彼は美術館に行ったりお寺に行ったりで私が案内した」
Y「案内した、それがきっかけだった。そして九州まで行かれてるんですね。
聞いた話だと、別府から京都までタクシーで行かれたと」
E「それは結婚前で。1963年の後半に(ジョーさんと)会ったんですけれど
1963年の前半に、彼はサンフランシスコから来ていた男性たち3名と
京都からタクシーで九州へ行き京都へ戻ってきた、と。
Y「そのタクシーの運転手も、さぞやびっくりしたでしょうねぇ」
E「その時、タクシーの運転手さんが皆生(かいき)温泉へ行ったらどうですか?と。
(エツコさんと出会う前の話なので、あとで聞いた話だそうです)
私は皆生温泉の近くで育っています。
男性3人、同じ旅館に泊まった時「ヌードルショーを見に行きなさい」と女将さんに言われ
見に行ったら実際はヌードショーだったらしくて。
非常に日本の山陰道を楽しんだ、と。
その後に私と出会って、君は山陰地方の人か、と」
Y「その話は初めて聞きました」
■ワイナリーにて 1972年のキャプション
Y「これは結婚されてしばらくたってからですね」
(ご結婚は1966年)
ここで辻氏が「これはねぇ、私が」と言いかけて、すかさず山下氏に
「先生、マイクをお願いします!」と叫ばれてました。
T「これは私が招かれてシアトル経由でカリフォルニアへ。
カリフォルニアのワイナリーで撮った写真です」
なんと撮影者は辻氏だった、と。
Y「そもそも、最初にプライスさんと会ったのは先生が東京文化財研究所に
お勤めの時だった?」
T「そうですね」
Y「それは誰かに紹介されたのですか?」
E「京都で、若冲の絵を探しているなら東京に ひじょ~に変わった先生が
いるから。あの先生も、一人で若冲研究しているから、と」
Y「要するに、一人で研究している人と、一人で集めている人」
笑いすぎて、お腹痛い。
私の文才じゃ、あの見事な掛け合いを再現できなくて申し訳ないのですが。
漫才でもやってますか?!ぐらいなテンポの良さで。
愉しかったなぁ。しみじみ。
Y「それから50年経って、ようやくこれだけ沢山の人が共感してくれるようになって。
先生、この時初めてアメリカに?」
T「そうです」
■湖を見下ろせる高台にいる辻先生
E「レークタホのエメラルド・ベイという美しいところで昼食を」
Wikipediaによりますと
>タホ湖は、アメリカ合衆国カリフォルニア州とネバダ州の州境の
>シエラネヴァダ山中にある湖である。
T「1972年ですから、先生ちょうど40歳頃」
T「お若いですね。ちょっと、兆候はありますが」
そう言って、レーザーポインターで額のあたりをクルクル。
こ、この師弟関係面白すぎるんですけど。
辻氏、いじられても全く動じません。
■オクラホマにあったプライス邸の外観写真
ブルース・ゴフ氏が設計したそうで
Y「ブルース・ゴフは、フランク・ロイド・ライトの友人にあたる人で
プライスさんに若冲という存在を教えてくれたのがブルース・ゴフだった
訳ですね。そのことについて、プライスさん教えてください」
E「(ジョーさんが)オクラホマ大学在学中に、Mr.ゴフはオクラホマ大学の
建築学部長だったんです。
彼(ジョーさん)は建築学部の学生じゃないけれど、毎金曜日にクラシック音楽の
コンサートが放課後にあって、そこでMr.ゴフと知り合った。
その前に、彼が学生新聞に写真を出してMr.ゴフが「この学生に会いたい」と。
初めはMr.ゴフからジョー・プライスにアプローチした、と。
父親が会社の本社を建てたいと言った時に、Mr.ゴフに相談したら
Mr.ライトを紹介してあげるから、ということで」
■オクラホマにあったプライス邸の内部写真
E「これが居間です」
丸く大きな赤い玉を見て
Y「これは何ですか?!」
E「これは椅子です。今流行ってますけれど、当時非常にモダンな」
ここで、家の話を始めるジョーさん。
この家は3段階へているそうで
E「初めは(ジョーさんが)独身の頃。
ちょうど私がオクラホマに来た頃に完成していた。
キッチンが狭くて、半畳ほどしかなくて」
Y「増築を重ねられているんですね」
E「3回目は子供ができて、3階を自分のオフィスにするために」
と、またも長くなりましたのでここで〆ます。
これでまだ講演の3分の1ぐらいだったりします。
.
#
by yui_usakame
| 2016-04-24 17:38
| 美術展
若冲展 特別記念講演①
4/22(金)から東京都美術館で始まった若冲展。
初日から1万人を超える来場者だったそうで!!
翌日の土曜日、午後12時半ごろ東京都美術館へ行きましたら
入場まで10分待ちという案内が出ておりました。
で、東京都美術館まで行ったからには若冲展も見たかったのですが
平日の方が少しは空いているだろうと思いまして、来週見ることに。
じゃあ、何しにわざわざ美術館まで足を運んだかと言いますと
若冲展特別記念講演を聞きに。
司会は山下裕二氏(明治学院大学教授)。
若冲展総監修の辻惟雄(MIHO MUSEUM 前館長)と
若冲愛好家のエツコ&ジョー・プライス夫妻による対談。
なんと豪華なメンバーでありましょう。
開場は13時だったのですが、30分ほど前から東京都美術館講堂の前で
並んでいましたら
講堂脇の扉から、エツコ&ジョー・プライス夫妻と関係者の方々が
出てこられてドギマギ。
通訳があるとはいえ、1時間半の講演は一体どんなものになるのか?
不安と期待が入り混じる中、ついに開場。
前から二列目の中央寄りに席が取れました!
講堂内がとても綺麗で、全体の写真を撮ってくれば良かった。
必死になってメモってきたので、書き起こしてみようと思います。
メモできなかった部分、自分の字ながらメモが読めなかった部分、口調の違い、
聞き間違いなどあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
------------------------------------------------------------------------
まずは東京都美術館の職員の方の挨拶。
ご夫妻が今年結婚50周年を迎えられること、
辻氏と夫妻が出会われてからも ほぼ50年、
そして東京大学時代の教え子にあたるのが司会を担当される
山下氏とのこと。
山下氏自身も、ご夫妻と友人でいらっしゃる、と。
通訳を担当されるのは、若冲展にも関わっていらっしゃるという
浅野研究所の広瀬麻美氏。
そして司会の山下氏登壇。(以下、Yと表記させていただきます)。
Y「冒頭の紹介にもありましたが、ご夫妻が結婚されて50年。
辻先生と出会われてからも、ほぼ50年。
ほぼ、というのは双方に話を聞くと微妙に記憶が曖昧で...」
と、ここで会場から大きな笑いが。
この後も、山下氏の絶妙なツッコミと、脱線しそうになる話を本筋へ戻す
見事な手腕で13:30から15:00まで濃密な時間となりました。
まさか、あんなにも大笑いする愉しい講演会になるとは誰が予想できたで
ありましょう。
そして、辻先生、ご夫妻、広瀬氏登壇。
Y「若冲関連の記事などで必ずと言っていいほど登場される皆さんなので
ご存知の方も多いと思いますが」といって各氏の紹介。
ジョー・プライスさん、1929年生まれ。昭和四年。
山下氏の亡くなられた母上と同じ年ということで、ジョー氏と山下氏は
親子ほど離れていることになる、と。
Y「現在86歳。今年10月で87歳ということで、若冲の年齢を超えられています。
若冲は1716年生まれ、1800年に亡くなっているので84歳。
ジョーさん、若冲より長生きしていることについてどう思われますか?」
ジョー氏(以下、Jと表記させていただきます)。
「Very Well!」
ジョー氏の記念すべき第一声、「Very Well!」。
Y「ご夫妻が結婚された当初の写真も、のちほどスライドにてご紹介します」
おー。
Y「辻先生は1932年生まれ。ジョーさんより3歳年下ということは今年84歳。
ちょうど若冲と同じ年に」
ま、まって、同じ質問を?(期待)
Y「いかがですか、先生?」
マイクを持たずに話だす辻氏。
Y「先生、マイクを持ちましょう!先生!!
これ、いつものお約束でして」
会場内、大爆笑。
辻氏(以下、Tと表記させていただきます)。
「いやぁ、この歳まで生きられたというのはありがたいことで。
若冲は晩年まで凄い絵を描いたなぁ、と」
Y「そうですね○○寺(聞き取れませんでした)の屛風画も、
百犬図も80代の作品ということで。目が良かったんでしょうね?」
Y「この若冲展は大人気で。昨日初日でしたが一日で一万人以上の
入場者があったようです」
会場、ざわざわざわ~。
Y「もう少し待ち時間があると思いましたが。意外と少ないですね...
中は物凄い混んでいるようですが。
この若冲ブームについて、どうジョーさんは思われますか?
J「(英語で回答)」
通訳担当の方が話されるのかと思った、その時!
エツコさん「時間の無駄になりますので、わたくしが...」
またも会場内、大爆笑。
まさか、エツコさんの第一声を、このような形で聞くとは思わなかったので。
席順では、ご夫妻は隣り合って座るようになっていたのですが
入場した時に、ジョー氏、通訳担当の広瀬氏、エツコ氏という順番で
座られたので「あれれ?」と思っておりました。
なるほど、エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さる、と。
エツコさん(以下、Eと表記させていただきます)。
「本当に今回の展覧会の作品は素晴らしくて。
彼(若冲)の才能が、やっと一般の人たちにも認められたんだなと
喜んでおります」
E「そうゆうことですよね?(と通訳さんに確認)」
通訳さん「はい」
Y「1953年に初めてジョーさんが絵を購入された23、24歳の頃
日本人も若冲の名前をほぼ知らなかったと思います。
ジョーさんも若冲の名前を知っていて買った訳ではなく、
絵そのものを見て、絵の魅力にとりつかれた、と。
そのあたりのことも、のちほどスライドでご紹介します」
Y「辻先生は今の若冲ブームで大変忙しくされていて、もうテレビでるの
いやでしょう? あ、先生、マイク」
どうやら辻先生は、マイクを持つのをつい忘れてしまうようです。
毎度、私の顔がでて申し訳ない、といったことを辻氏が答えていらっしゃいました。
いよいよ、スライドを使った説明が始まります。
が、長くなりましたので一旦これで〆ます。
.
初日から1万人を超える来場者だったそうで!!
翌日の土曜日、午後12時半ごろ東京都美術館へ行きましたら
入場まで10分待ちという案内が出ておりました。
で、東京都美術館まで行ったからには若冲展も見たかったのですが
平日の方が少しは空いているだろうと思いまして、来週見ることに。
じゃあ、何しにわざわざ美術館まで足を運んだかと言いますと
若冲展特別記念講演を聞きに。
司会は山下裕二氏(明治学院大学教授)。
若冲展総監修の辻惟雄(MIHO MUSEUM 前館長)と
若冲愛好家のエツコ&ジョー・プライス夫妻による対談。
なんと豪華なメンバーでありましょう。
開場は13時だったのですが、30分ほど前から東京都美術館講堂の前で
並んでいましたら
講堂脇の扉から、エツコ&ジョー・プライス夫妻と関係者の方々が
出てこられてドギマギ。
通訳があるとはいえ、1時間半の講演は一体どんなものになるのか?
不安と期待が入り混じる中、ついに開場。
前から二列目の中央寄りに席が取れました!
講堂内がとても綺麗で、全体の写真を撮ってくれば良かった。
必死になってメモってきたので、書き起こしてみようと思います。
メモできなかった部分、自分の字ながらメモが読めなかった部分、口調の違い、
聞き間違いなどあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
------------------------------------------------------------------------
まずは東京都美術館の職員の方の挨拶。
ご夫妻が今年結婚50周年を迎えられること、
辻氏と夫妻が出会われてからも ほぼ50年、
そして東京大学時代の教え子にあたるのが司会を担当される
山下氏とのこと。
山下氏自身も、ご夫妻と友人でいらっしゃる、と。
通訳を担当されるのは、若冲展にも関わっていらっしゃるという
浅野研究所の広瀬麻美氏。
そして司会の山下氏登壇。(以下、Yと表記させていただきます)。
Y「冒頭の紹介にもありましたが、ご夫妻が結婚されて50年。
辻先生と出会われてからも、ほぼ50年。
ほぼ、というのは双方に話を聞くと微妙に記憶が曖昧で...」
と、ここで会場から大きな笑いが。
この後も、山下氏の絶妙なツッコミと、脱線しそうになる話を本筋へ戻す
見事な手腕で13:30から15:00まで濃密な時間となりました。
まさか、あんなにも大笑いする愉しい講演会になるとは誰が予想できたで
ありましょう。
そして、辻先生、ご夫妻、広瀬氏登壇。
Y「若冲関連の記事などで必ずと言っていいほど登場される皆さんなので
ご存知の方も多いと思いますが」といって各氏の紹介。
ジョー・プライスさん、1929年生まれ。昭和四年。
山下氏の亡くなられた母上と同じ年ということで、ジョー氏と山下氏は
親子ほど離れていることになる、と。
Y「現在86歳。今年10月で87歳ということで、若冲の年齢を超えられています。
若冲は1716年生まれ、1800年に亡くなっているので84歳。
ジョーさん、若冲より長生きしていることについてどう思われますか?」
ジョー氏(以下、Jと表記させていただきます)。
「Very Well!」
ジョー氏の記念すべき第一声、「Very Well!」。
Y「ご夫妻が結婚された当初の写真も、のちほどスライドにてご紹介します」
おー。
Y「辻先生は1932年生まれ。ジョーさんより3歳年下ということは今年84歳。
ちょうど若冲と同じ年に」
ま、まって、同じ質問を?(期待)
Y「いかがですか、先生?」
マイクを持たずに話だす辻氏。
Y「先生、マイクを持ちましょう!先生!!
これ、いつものお約束でして」
会場内、大爆笑。
辻氏(以下、Tと表記させていただきます)。
「いやぁ、この歳まで生きられたというのはありがたいことで。
若冲は晩年まで凄い絵を描いたなぁ、と」
Y「そうですね○○寺(聞き取れませんでした)の屛風画も、
百犬図も80代の作品ということで。目が良かったんでしょうね?」
Y「この若冲展は大人気で。昨日初日でしたが一日で一万人以上の
入場者があったようです」
会場、ざわざわざわ~。
Y「もう少し待ち時間があると思いましたが。意外と少ないですね...
中は物凄い混んでいるようですが。
この若冲ブームについて、どうジョーさんは思われますか?
J「(英語で回答)」
通訳担当の方が話されるのかと思った、その時!
エツコさん「時間の無駄になりますので、わたくしが...」
またも会場内、大爆笑。
まさか、エツコさんの第一声を、このような形で聞くとは思わなかったので。
席順では、ご夫妻は隣り合って座るようになっていたのですが
入場した時に、ジョー氏、通訳担当の広瀬氏、エツコ氏という順番で
座られたので「あれれ?」と思っておりました。
なるほど、エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さる、と。
エツコさん(以下、Eと表記させていただきます)。
「本当に今回の展覧会の作品は素晴らしくて。
彼(若冲)の才能が、やっと一般の人たちにも認められたんだなと
喜んでおります」
E「そうゆうことですよね?(と通訳さんに確認)」
通訳さん「はい」
Y「1953年に初めてジョーさんが絵を購入された23、24歳の頃
日本人も若冲の名前をほぼ知らなかったと思います。
ジョーさんも若冲の名前を知っていて買った訳ではなく、
絵そのものを見て、絵の魅力にとりつかれた、と。
そのあたりのことも、のちほどスライドでご紹介します」
Y「辻先生は今の若冲ブームで大変忙しくされていて、もうテレビでるの
いやでしょう? あ、先生、マイク」
どうやら辻先生は、マイクを持つのをつい忘れてしまうようです。
毎度、私の顔がでて申し訳ない、といったことを辻氏が答えていらっしゃいました。
いよいよ、スライドを使った説明が始まります。
が、長くなりましたので一旦これで〆ます。
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by yui_usakame
| 2016-04-24 13:24
| 美術展
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