カメがウサギにドンブリ勝負

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東京国立博物館 ミュージアムシアター初体験

今年3月、国宝に指定されたという≪洛中洛外図屏風 舟木本≫。

こちらのページで見られます。
結構拡大して見ることができる!


さて、その屏風を大画面で説明してくれる面白そうな催しがあるらしい、
という入手しまして、行って参りました。
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東京国立博物館(以下、トーハク)の東洋館。
地下一階にありますミュージアムシアター。

現在上映されているのは、屏風の左隻をメインにしたもの。

公式ホームページによりますと

>後期は、祇園祭や京都の寺社を巡り、二条城までご案内します。
>また、日用品の店が並ぶ通りにも寄り道し、職人たちの商いの様子を
>ご紹介します。
>二条城では、由緒正しき台所の料理や、裁判の様子を見学し、徳川による
>新しい時代のはじまりの空気を感じることができます。

むふふ、楽しそう。

所要時間は約40分で、定員は90名とのこと。
チケットはトーハク正門チケット売場もしくは、ミュージアムシアター前にて購入。
正門のチケット売り場とシアター前ではチケットが購入できる時間も違うようなので
ご注意くださいませ!

上演日や上演時間は、公式ホームページにてご確認くださいませ。


いよいよ上映時間。
ナビゲータとして女性が登場し、屏風について説明開始。

作者の岩佐又兵衛は安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した人で
浮世絵の創始者としても知られている、と。

で、「バーチャルリアリティ特有の”ふわふわ”とした浮遊感をともなうことがある」
という説明がありました。
「その際は目を閉じるか、画面から目をそらしてみてください」とのこと。
ふむふむ。

「ただ無理はせず手を挙げてお知らせください」と。

同じ上映回では私を含め、どなたもいらっしゃらなかったのですが。
もしかしたら、苦手な方もいらっしゃるのかもしれません。


「それでは、ゆっくりお楽しみください」というナビゲータの方のセリフが聞こえ
あー、あとは説明が画面に出るんだろうなぁ、って勝手に思ってたら。

思ってたら。

音楽が始まり、ナレーション開始。

ん?

どこかで聞いたような声だなぁ。


ん?

生?
今、喋ってる?!

さっきのナビゲータの方が、いま喋ってる!!!

最初、暗闇で良く見えなかったのですが。
なんと、ナビゲータの方が喋りながら進行するスタイルでした。

のちのちホームページ読んだら、しっかり書いてありました。
ナビゲータによる「ライブ上演」


これがねぇ、すごく面白かったです。
今思うと専用のコントローラを操作しつつの、喋りつつの、進行だったんでしょうねぇ。
(いや、でも音楽もあったしな。操作も別の方が担当されていたのかも。ぶつぶつ)

かなりの量を喋られてましたが、全部暗記されていらっしゃったし。凄いなぁ。

とても分かりやすい説明と、惚れ惚れするような声の良さ。
要所要所では、レーザーポインタを使っての説明。
そして拡大しても拡大しても綺麗な映像!

シアター前に復元された原寸大の屏風が飾ってあるのですが。
その大きさから考えると、あんなに大画面に拡大しても大丈夫って
どうなってるんだろう?!と思ってしまいました。
すごい技術ですねぇ。しみじみ。


あっという間に説明が終わり、一旦終了。

実際に操作ができるということで、残った人の中から3人ほどiPadで画面を
操作されてました。
今回は見られなかった右隻の三十三間堂、五条大橋、広寺大仏殿を見学。

そこでもナビゲータの方が説明をしてくださったので、時間がある方は是非最後まで
残って見て行かれることを勝手にお勧め致します。

すごい、面白いから!!説明が丁寧だし!!!

こんなに面白いなら、前期も見たかった。
そして屏風自体が展示されているのを知りながらも、見に行かなかった自分。
国宝に指定されちゃったからには、もうおいそれとは見られないだろうに。
うぐ。悔やまれますが仕方ない。

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と言う訳で、今は屏風の他に、熊本城についても上映されているようです。
鑑賞料金は全額「熊本城災害復旧支援金」へ寄付されるとか。


これからの上映にも勝手に期待をしている今日この頃です。







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by yui_usakame | 2016-06-26 22:13 | 美術展

今年も半分過ぎようと

あと5日ほどで今年も半分過ぎようとしていますが、
いかがお過ごしでしょうか。

年賀状で、「今年こそ会おうね」なんて書きあった人たちと
会う気配がないまま半年。
うわー、そしてまた約半年後に年賀状を書く訳ですね。


さてさて、今年行った展覧会のパンフレットなどを整理しましたら
6センチファイルが、なかなかいい具合に膨れてまいりました。
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6割強はいってそうな気配。
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チラシ、出展目録、チケットホルダーなどを一つのクリアポケットにいれまして、
絵はがきの枚数が多い場合、ハガキホルダー台紙というのに入れております。
このホルダーは、表と裏に4枚ずつ計8枚入れられるタイプ。

A4サイズのクリアファイルは同じところにファイルできないので、別管理。
こちらのホルダーを購入しようか悩み中です。

クリアファイル収納ホルダー クリア

コアデ



1冊20ポケット。最大で40枚のクリアファイルが収納できるそうで。
今、手持ちのクリアファイルは何枚あるんだろうな(遠い目)。

若冲展は購入したものが多すぎるので、まとめてA4サイズのファスナー付ケースに
入れております。


数えてみたら今年になってから20の展覧会へ行ったようで。
そのうち2回行ったのは5つ。

ははは。
仕方ない、前・後期展示があるんだもの。
仕方ない。


そしてファイルの上の方には、これから行きたいと思っている展覧会のチラシが
スタンバイしております。
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はて、何月分までファイルできますやら。







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by yui_usakame | 2016-06-26 17:21 | 美術展

美の祝典Ⅱ 出光美術館 ≪伴大納言絵巻≫中巻

気が付けば、会期も残り2日というギリギリのところで
見て参りました『美の祝典Ⅱ』展。

おそらく、これを見ておかないと気持ちが落ち着かないということで
まずは伴大納言絵巻の中巻へ。

正午過ぎに行ったのですが、一旦人が少なくなったところだったようで
並ばず ゆっくり、じっくりと見ることができました。
表情豊かで、建物や植物の描き方も丁寧(?!)だし、文字は読めないけれど
絵だけ見ていても楽しくて。しかも綺麗な文字。羨ましい。
(くずし字も読めたらいいなぁ、と思ってアプリをダウンロードしたものの
まだ1回しか触っていないという...)

この絵巻が書かれた当初は、さぞかし綺麗だったんだろうなぁ。
着物の柄や色も美しかったんだろうなぁ。羨ましい、実に羨ましい。
この絵巻が出来たてほやほやの時に楽しんだ人々がいたんだなぁ、羨ましい。


とは言え、ここまで大切に守られてきたんだから凄いことだなぁ。
この絵巻を作った人にも、教えてあげたいなぁ、後世の人たちも大勢見て
楽しんでいます、って。

と、相変わらずの妄想を繰り広げながら見ておりました。


≪ざっくりとした中巻のストーリー≫

応天門放火の濡れ衣をきせられていた源信は赦免され
事件は犯人不在のまま決着かと思われたが...
思わぬところから真犯人の名が世間に知られることとなる。

それは事件から数か月後のこと。
2人の子どもが喧嘩になり、そこへ片方の親が相手の子どもに容赦なく暴力を
加えるという事件が起きたことに端を発する。

これに怒った被害者側の父親は、自分が見たことを世間に言いふらす。
加害者側の雇い主である伴大納言が、実は真犯人である、と。
ここで中巻は終了。

この子どもが喧嘩するシーンは、異時同図法の表現として有名なんだそうで。
今回は忘れず、しっかりこの異時同図法の説明書きをメモってまいりました。


四コマ漫画のルーツ 異時同図法

子どもの喧嘩の場面には、水玉模様の子どもが2人、
同じ浅黄色の着物の子どもが3人、
同じ顔をした父親も2人います。
一体どうなっているのでしょうか。


私がミュージアムショップで購入してきた絵はがきでご説明しますと
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これは同一人物の動きを少しずつ時間をずらしながら、ひとつの画面に描くもので
異時同図法という絵巻独特の表現方法によっています。
今でいう四コマ漫画と同じようにシーンを分けてみれば

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起 : 子どもの喧嘩
承 : 飛び出す父親
転 : 父親は我が子を庇い、相手の子どもを蹴り倒す
結 : ぐずる子どもをなだめて連れ戻す母親
となっていることがお分かりいただけますか。
この父親は大納言に仕える男で出納の職にありました。

とりわけ、承と転が出納の家の前のわずかなスペースで展開されているため
後に重大な問題に繋がっていく出納の行為が、カッとなったほんの一瞬の
出来事であったことが伝わってきます


なるほど!
これを知らないでみると、同じ画面に似たような人が何人も??となってしまいますが
一瞬の出来事だからこそ、ほぼ1つのスペースに描きこまれているのですね。
よく考えたなぁ。
確かに、起きた順番に描いていったら、緊迫感は感じられないかもしれないなぁ。


たまたま足を止めた官人の従者たちも、一瞬の出来事に口をあんぐりあけて
取り巻くばかり。

一方で髪の毛一本一本にまで手を抜かない細かい描写も見どころ。
出納の子どもの手に絡みつくむしりとられた髪の毛、
蹴られて風になびく舎人の子どもの髪の毛。

劇的な構図と細密な描写の中に絵師の力量が冴えわたる名場面です。


目を凝らして何度も見たものの、出納の子(浅黄色の着物の子)の手に握られている
という髪の毛が私には見えなくて。
単眼鏡欲しいなー、欲しいなー。

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言い訳しますと、子どもの手の部分とヒビが重なってしまって、うん、
私にはハッキリ見えなかったんですよねぇ。残念。
でも、父親の陰に隠れ憎らしい表情をしている子どもの表情は、ハッキリ分かりました。
に、にくたらしい。
それにしても、こんなに蹴らなくてもいいだろうに、ぐらいな勢いで蹴ってますね。
そりゃ、蹴られた側の親御さんが怒っても仕方ない。
今まで自分の見たことを黙ってきたけれど、我慢ならず皆に話しちゃいますよね。
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それを周りで見ている人々の描写も好きでした。

大きな箱を頭にのせ何かを運んでいる途中の人も
一回止まってしまったら動き出すのも大変そうなほど大きな大きな壺を背負った人も
思わず立ち止まって見てしまうほどの勢いと、驚くべき内容だったんだなぁ、と。

このシーンの前にある、源信の家族や女房たちの表情の描き方も素晴らしくて。
本当に、これを描いた人はどんな人だったのか。
後ろからでいいのでコッソリ見てみたい。他の作品はないのかしら。
この人、きっと人気あったと思うんだよなぁ(またも勝手な妄想)


と言う訳で、前回購入してなかったB5クリアファイルと絵はがきを。
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絵はがきは8枚入りセットと、セットには入ってないものを。
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伴大納言絵巻の絵はがきはバラ売りもございまして。
セットに入っている絵はがきは、販売ケースに小さなオレンジ色のシールが貼ってあるので
重複しない仕掛けに。ありがたや!

なのに、なぜか2枚重複してたことが帰宅して判明。
なんだろう、テンションあがりすぎてシール見落としたんだろうな。
さすが、私。

中巻の絵はがき2枚を同一人物部分で重ねると喧嘩のシーンから
言いふらしシーンが一枚に繋がります!
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セットに入ってない絵はがき。
私が購入したこの2枚は、セットに入っている絵はがきと違って上下に余白が
ありませんでした。
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と、絵巻だけでかなり書いてしまったので他の作品については
また別の機会に。







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by yui_usakame | 2016-06-12 18:00 | 美術展

静嘉堂文庫美術館訪問記

前回と前々回で書きました『よみがえる仏の美』展で、初めて世田谷にある
静嘉堂文庫美術館へ。

ホームページには二子玉川駅からのバス乗り場や時刻表が掲載されていて
助かりました。
往路はバスにして、復路は徒歩にしてみようかとも思ったのですが。
結局、往復もバスにしたのは方向音痴だからです。はい。
ちなみに地図には徒歩で行く場合の地図も掲載されております。


バスを降り、そのまま道なりに坂を登っていくと美術館の入口が
左手に見えてきました。
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↑写真は、道路をはさんで反対側から撮影したものです。


入ってすぐ、その緑の濃さに驚かされました。
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川が流れていたりして、世田谷にいる感じがしなくなってきました。
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ゆるやかな坂も、最後の方は少しキツかったりして。
まぁ、それは私が運動不足だからだと思いますが......


坂を上りきった先に見えたのが
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岡本静嘉堂文庫。
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こちらの文庫は東京都選定歴史的建造物にも指定されているそうで。
説明によりますと、鉄筋コンクリート造2階建スクラッチ・タイル貼りの
瀟洒な建物で、イギリスの郊外住宅のスタイルを濃厚に表現している、と。

静嘉堂文庫は、三菱合資会社の第四代社長であった岩﨑小彌太が、その父・彌之助の
収集した日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存し、更に研究者に公開することを目的に
建設したものである。

設計者の桜井小太郎(1870~1953)は、イギリスで建築を学び、英国風の
落ち着いた品格のあるデザインを得意とした。
岩﨑小彌太も明治33年イギリスに留学し、ケンブリッヂ大学を卒業した英国通であり、
両者の呼吸が一致した作品である。
内部は玄関ホール、ラウンジ、閲覧室、2階に応接室等があり、19世紀後半イギリスの
アーツ・アンド・クラフト運動の雰囲気をもっている。

文庫内は原則として非公開とのこと。内装はどうなっているのか見てみたいなぁ。

文庫の左手に美術館が見えるのですが、なぜ写真を撮ってこなかったのか。

美術館を正面に見て右側に庭園入口と書かれた案内板が。
そちらへ進んでいくと、え、ここでいいの?と
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ちょっとドキドキ。
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背丈の大きな木々が生い茂っています。そして、かなり段差を利用した庭園で
階段を下まで降りると暫くは平地で、また階段を登り、美術館前(先ほどとは反対側)へと
戻ってくるコース。

途中、竹林も見えました。ここは降りて行けないので、タケノコ狩りは出来ないと
思われます。(しないって)
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さて、往路と同じでは面白くないということで別ルートで帰ることに。
美術館を正面に見て左側へと歩きだすと、何か狛犬のようなものが見えてきました。
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納骨堂と言うことで、写真撮影は控えました。

この納骨堂を設計したのは建築家ジョサイア・コンドル氏で明治43年(1910)に
建てられたそうです。
コンドル氏は、先ほどの文庫を設計した桜井氏の師匠さんでもあったそうです。
なるほど、三菱一号館を設計したのもコンドル氏でしたし、岩﨑彌之助氏のお宅も
設計されているというのでご縁があったのですね。

先へ進むと、岩﨑彌之助氏の石碑が。
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一般的な石碑というイメージを大きく覆す、大きな大きな石碑に
圧倒されました。

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はて、ここは本当に世田谷なんだろうか、とまた思いつつ道を進みますと
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今度は巨大な灯篭が。いや、この写真だとさほど大きく見えないとは思いますが
先ほどの石碑といい、この灯篭といい、歩いているうちに不思議な力が働いて
自分が小さくなってしまったんじゃないか、と思うぐらい。
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なにやら日光東照宮にもありそうな感じの装飾でした。


そして、この灯篭の先が階段なのですが。
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急角度がお分かりいただけますでしょうか。

この時、先に階段を下りている方がいたのですが。
見えない。まったく、降りている姿が見えない。
覗きこんだら、見えましたけど。

しかも少し前下がりな感じの階段でして。
ちょっと気を抜いたら、落ちてしまうじゃないかと少々冷や冷やしました。

下から見てみますと
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うん。この写真だと伝わらない気がします。

階段を降り切り左へ進みますと(というか、左にしか行けないようになっています)
往路で二岐に分かれていたところへ出てきました。
良かった、ちょっと洒落っ気(?)だしてこちらへ来たら美術館へ到着前に
体力がなくなってしまうところだったかもしれません。

どうやら、この一帯は岡本静嘉堂緑地として保存されているようでして
説明によりますと、国分寺崖線の一画にあり、もとは岩﨑家が所有する庭園。
昭和20年ごろまでは庭園として維持管理がされ、その後は人の出入りもなく
ほぼ自然状態にあったため、貴重な自然が残された、とありました。
美術品鑑賞だけでなく、思いがけず緑も堪能できた一日でした。


静嘉堂文庫美術館へ行ったのは5月末なのですが、5月上旬に箱根・山のホテルへ
行く機会がありまして。
山のホテルは、小彌太氏の別邸跡に建てられたホテルということですし、
庭園には小彌太氏が集めたというツツジやシャクナゲが所狭しと植えられていました。

という訳で、先月は思いがけずも小彌太氏と関係の深い(??)月であったなぁ、と
思う今日この頃です。







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by yui_usakame | 2016-06-08 22:24 | 美術展

『よみがえる仏の美』展 静嘉堂文庫美術館②

静嘉堂文庫美術館で開催されていた『よみがえる仏の美』展。

十二神将立像の次に私が惹きつけられたのは、ずらっと段に並べられられた
小さな白い塔。

その数、40基あったそうで。
その名は、百万塔。

764年(奈良時代後期)に称徳天皇の勅願によって鎮護国家の願いを込めて
製作されたそうで。6年かけて作られた木製三重小塔百万基。
塔の表面を白土で白化粧し、中には印刷した陀羅尼(仏教の呪文)を1巻ずつ
巻いておさめ、東大寺や薬師寺など南部七大寺を中心に十大寺に十万基ずつ
分置した、と説明にありました。

やることの桁が凄い!!

塔の高さは書いてなかったのですが、Wikipediaによると標準的なものは
総高21.4cmとのこと。
中におさめたお経の印刷の製作方法は、まだ不明だそうで。
木版、銅板、スタンプ説があるそうです。
静嘉堂文庫美術館の公式ホームページによりますと、百万塔の中には印刷した
四種の陀羅尼が1枚ずつ納められている、と。
印刷も大変だけれど、それを巻いていくのも大変そう......

百万塔の製作についての記載が『続日本書紀』にあり、印刷年代が判明している
現存最古の印刷物の一つである可能性が指摘されている、と。
今回、静嘉堂文庫美術館が所蔵する百万塔すべてを展示したそうです。
40基でも迫力ありましたが、それが百万基。うーん、作ったものを置いておく場所も
相当広い場所を確保しないといけないだろうしなぁ、などと違うことを考え始める私。


次に私が興味を持ったのが≪古経貼交屏風≫六曲一双。
12枚のパネルを6枚ずつ綴じあわせて六曲一双に仕立てた屏風で、四周に草花模様の
更紗を貼り、左右に開けた孔に染皮の紐を通して結んでありました。
紐で繋がった屏風って珍しいなぁ、と。

屛風には絵が描いてある訳ではなく、古経が切り貼りされていたり、
ところどころに布の切れ端のようなものが貼り付けられているという。

説明には、蜀江錦(しょっこうにしき)をはじめ法隆寺献納宝物と同じ裂(きれ)などが
多く見られることから法隆寺献納宝物との深い関わりが推定される、と。
屛風の形になったのは、明治時代前後ではないか、と。

古経や裂が少しずつあるから、それを集めて1つの屏風にしよう、ということ
だったんでしょうか??


羅漢図が三幅展示されていて、そのうちの1つを修理する際、補填する絹は作品と
同じ折り目の絹を用いた、と説明にありました。

展示の後半部には、修理に使われる道具が並べてあるケースがありまして
その中には修復に使われる絹も展示されていました。
そうそう、こうゆうのを知りたかった!!と大興奮。いつも通り一人で大興奮。

欠損部に補填する絹は放射線を照射して人工的に劣化させ、
補填した絹自身が欠損部周囲の絹を損傷させないように、あえて弱くして使用するとか。
欠損通りの形にカッターで切りぬいて糊をつけ、ピンセットで欠損部にはめ込むそうです。
絹が絹を損傷させるなんてことがあるんですねぇ。

文化財の修理に使用される宇陀紙は、奈良県中部に位置する吉野町で
漉かれる紙だそうです。
国から認定されている選定保存技術保持者の方が漉いたという紙が展示されていました。
楮の繊維に吉野山で産出される石を砕いた粉末を混ぜて漉くそうです。
パリっとして張りがあり、表面が滑らかで柔軟な上に丈夫な紙になるとか。
(この説明を読んだ時、私もそうゆう肌になりたいとか訳の分からんことを思いました)

掛け軸を巻いて収納するときに、作品の表面が密着するのに適した裏打ち紙として
総裏打ちに使用するそうです。
つまり、掛け軸をかけたときに壁に接する部分が宇陀紙ということですね。

紙に含まれる石粉(いしこ)がアルカリ性なので、総裏打ちに使用する古糊(ふるのり)の
酸を中和したり、収納時には作品の表面の酸化を抑える効果があるそうです。

ちなみに、古糊とは小麦のデンプン糊を低温で貯蔵して乾燥後に硬くなりにくくした
弱酸性の糊、だそうです。

ちなみに、今回の展示の中に坂田墨珠堂さんという名前が。
検索したら、面白い動画を見つけました!
古糊、補絹(ほけん)、補絹に使う劣化絹、折れ入れ、付け回しなど
描軸を修理する工程も少し見られますので、宜しければ是非。


この動画に出てくる皆さん、お元気で修復作業をされていらっしゃるかしら...
いやぁ、不器用なので絶対弟子入りできないけれど、興味深い仕事だなぁ。

話を展示に戻しまして。


文化財は100~150年周期で修理が行われることによって伝えられてきているそうで。
数百年後に再び修理が可能となるように、数十年後にどのように変質するか分からない
合成の接着剤は使用せず、動物性の膠や植物性の布海苔(ふのり)を絵画の剥落止めに
使用するそうです。

膠は1~3%の水溶液にして絵具刷毛や絵具筆で彩色部分に塗布したり、
剥離した絵具の隙間に10%程度の水溶液を面相筆で差し込んで絵具を画面に
定着させたりするそうです。

あとは、裏打ちに使用する刷毛、糊刷毛、撫刷毛、糊盆などなど紹介されて
いたのですが。
手首の限界で、描きとめることが出来ず。無念。


最後に気力で書きとめたのが、掛け軸の補修作業の流れについて。

1.表装解体
2.乾式クリーニング
3.剥落止め
4.旧裏打ち紙除去
5.旧折れ伏せ除去
6.湿式クリーニング
7.表打ち
8.旧肌裏紙除去
9.旧補修除去
10.補絹(ほけん)
11.肌裏打ち
12.表装 表装裂の補修
13.増裏打ち(ましうらうち)
14.折れ伏せ
15.付け廻し
16.中裏打ち 表装全体の厚みを調整
17.総裏打ち
18.補彩
19.仕上げ

本当は、1つずつの項目に説明も書いてあったのですが。
いかんせん、気力と手が追いつかず。無念。

墨仁堂さんという会社のホームページに、修理工程が紹介されてました!ありがたや。


いやぁ、面白かったです。
展示も見どころが多かったですし、修理工程についても知ることができて大満足。

新しい場所だからと躊躇せず、見たいと思った展示は見に行こうと、なるべく見に行こうと
そう思う今日この頃です。







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by yui_usakame | 2016-06-06 22:50 | 美術展

『よみがえる仏の美』展 静嘉堂文庫美術館

とある展覧会へ行ったとき、他の展覧会のチラシが何枚か並べてあって

おや?若冲という文字が見えたような?!
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あの若冲もならった名品、「文殊・普賢菩薩像」も公開!

それは、見てみたい。
是非とも見てみたい。

場所は、静嘉堂文庫美術館。
聞いたことがあるような、はて、場所はどこなんだろう?
東京じゃなかったらどうしよう、と思ったら。

東京都世田谷区!
失礼しました。


しかも、全期間≪曜変天目≫と≪油滴天目≫が展示されているとなれば
もうこれは行くしかない。

ドキドキ。

そう、初めての場所。
しかもバスに乗る。もうそれだけで緊張。
そして美術館の入口から美術館へ至る道が、これまた想像以上で。
それはまた、別の機会に書こうと思います。


若冲が描いた《普賢菩薩像》《釈迦如来像》《文殊菩薩像》は、こちら。
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そして、今回の展示で展示されていた《普賢菩薩像》と《文殊菩薩像》
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正確には≪釈迦文殊普賢≫張思恭(ちょうしきょう)筆 三幅のうち二幅。

現在、張思恭の≪釈迦如来像≫はクリーブランド美術館が所蔵しているとのこと。
その≪釈迦如来像≫も加えて比較してみると
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確かに構図や色合いが似ているような。
若冲が描いた《普賢菩薩像》219.4×110.1cm、《釈迦如来像》212.4×111.4cm、
《文殊菩薩像》210.4×114.4cmとのこと。

残念ながら張思恭の作品の大きさが私には見つけられなくて。

そして調べている時に、2014年にクリーブランド美術館展なるものが開催され
この≪釈迦如来像≫も来日していたという情報が。くー。
でもまぁ、そのとき見ていたとしても当時は今よりもさらに若冲作品に詳しくない私。
作品説明に書いてあったとしても、ピンときたかどうかは別の話ですし。
ましてや過去の話ですから、今さらどーこー書いてもしかたない、と思いつつも
見たかった。くー。


若冲は、この絵をみて「巧妙無比」と言ったそうで。
もともと張思恭の描いた三幅は京都・東福寺にあったとのことなので、
その時にこの絵を見たのでしょうか。

そうかぁ、若冲が見た絵を私も見ているのか。
しみじみ。
丁度、この二幅の正面にベンチがありましたので、ゆったりと見ることができたのも
嬉しかったです。

すごいなぁ、そもそもは14世紀に描かれた絵を、江戸時代の人と、平成の時代に
生きている人間が見ている訳かぁ。
修復されつつ、受け継がれてきたんだなぁ、と。

今まで見てきた浮世絵や絵画も、有名な画家たちが見てることはあったし
そんなにしみじみ思わなかった自分も不思議なんですが。

特に今回の展示が修復をテーマにしているから、余計にそれが感じられたのかも
しれません。


美術館入口でチケットを購入し、中へはいるとラウンジが。
そこには国宝≪曜変天目≫と重要文化財≪油滴天目≫が展示されてました。
ミュージアムショップで購入した絵はがきは、こちら。
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照明ではなく、自然光で国宝と重要文化財を見たのは初めてかもしれない、と。
ケースの周りをグルグル、下から見たり、上からのぞいてみたり。
光の加減で表情を変える器たち。
特に≪油滴天目≫は、外側まで油滴が沢山見えて綺麗だなぁ、と。
どちらも高台まで黒釉がたっぷりとかかっているのも好きでした。

こちらもミュージアムショップで購入した小冊子。
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この冊子によると、昭和9年に≪曜変天目≫を岩﨑小彌太氏が所有することに
なったそうですが。
「名器を私に用うべからず」と、生前一度もこの茶碗を所有することがなかった、と。
今のところ完全な姿で現存する≪曜変天目≫は世界に3つ確認されているだけで、
その1つが自分の手元にあったなら。
ちょっと、それでお茶を飲んでみたいという誘惑に私なら駆られてしまいそう...
いや、でも壊したら困るし、そうゆう意味で止めておくかもしれません。



展示室へ入ると、まず展示されているのが≪普賢菩薩像≫鎌倉・13世紀の作品で、
修理後初披露だそうです。
画面全体に折れや めくれといった損傷が多くみられたため平成25,26年の
2年間かけて修理したそうです。

肌裏紙(はだうらがみ・絵が描かれている絹の裏側に直接貼られた裏打ち紙)を
剥がさないで装丁されており、経年によって硬くなった肌裏紙折れの原因に
なっていたそうで。
可能な限り除去して、新たに肌裏打ちを行い更に折れ部分を補強することで
折れを解消した、と。


画面に細かい金の線で模様が描かれていて、すごい視力の持ち主だなぁ、と
感心していたら、説明書きに“截金(きりかね)”という技法が使われている、と。

”截金”とは、細かく切った金箔を貼って模様を作る技法。
仏像や仏画の尊い姿をより崇高にあらわすために飾る(荘厳する)ことを
目的として用いる、と説明にありました。

描いてない...
描くのも大変だと思っていたんですが、あの細さに金箔を切って、貼る......
気が遠くなりそうでした。

白象に乗った普賢菩薩。象の足元には五色の雲が。
その表現も、また細かくて。
白象の1本の牙が3本に分かれているように描かれているのも、
白象の足元に鍋敷き(!)みたいなのがあるのも可愛かったです。
そうそう、若冲が描いた普賢菩薩の象にも、鍋敷きみたいな描写が。
これは一体、どうゆう意味があるのかしら??


展示室を進むと、真ん中に仏像の入った4つのガラスケースが。
それぞれに寅神像、卯神像、午神像、そして酉神像。
木造十二神将立像のうちの4軀とのこと。

京都・浄瑠璃寺旧蔵の十二神将立像は、明治時代に寺を離れたそうで
現在は子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神の7軀が静嘉堂文庫美術館に、
辰神、巳神、未神、申神、戌神の5軀が東京国立博物館に所蔵されているそうです。

なぜ前半6軀と後半6軀という分け方ではなく、2か所で保存されることになったのか??
という私のアホな疑問はさておき。

美術館が所蔵する7軀のうち、今回展示されている4軀は修復作業が終了したとのこと。
運慶作なのではないか?ということですが、今回修理した4軀からは断定できるものが
発見されなかったようで。

私が思っていたよりも小ぶりな像でしたが、どれも表情豊かで、うっすら模様も見えて
いつか12軀揃ったところも見てみたいなぁ、と思っております。

ちなみに十二神将とは、病気の苦しみから人々を救う薬師如来を守るための眷属
いわばガードマンである。
平安時代後期(12C)になると、十二支と結び付けられ頭上にシンボルを戴く姿を
見ることができる、と。
このシンボルが、うん、まさに!というものだったり、ちょっと可愛かったりと
それぞれ違っているように私には見えました。

この十二神将たちはヒノキ材による寄木造り(よせぎづくり)ないしは、
割矧ぎ造り(わりはぎづくり)で作られているそうで、1212年頃制作されたものでは
ないか、と説明にありました。

それぞれ、修理の様子もパネルで紹介されていまして
午神像は右前腕部を取り外したところ、内部に鮮やかな赤い色彩があったこと
卯神像は左うえどぉ取り外したところ、左腕によって守られていたため装飾の色彩が
確認できたとか、
酉神像をCTスキャンしたところ、玉眼を内側から固定する材をとめるために
14本もの竹釘が使われていることが分かった、と。通常は2~8本。
非常に特徴的な玉眼の固定方法だということです。

少々長くなりましたので、次へつづく。







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by yui_usakame | 2016-06-05 21:25

『奥村土牛 画業ひとすじ100年のあゆみ』展

奥村土牛展のチケットに使われていた作品。
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高校の美術の時間に、奥村土牛の≪醍醐≫という作品であることを知りました。

綺麗な桜の絵だなぁ。実物が見てみたいなぁ。
と思いつつ、どこで見ることができるのか、までは考えなかったあの頃。

それから数年後、この絵が美術館で見られるという情報が。
しかも国立の美術館とかではなく、どうやらどこかの会社が運営している美術館らしい。
「ほー、美術館って国だけがやっている訳じゃないんだ」と、どこまでも無知だった
あの頃。
(まぁ、その辺はあまり変わらないか。ぶつぶつ)

見たい絵があるからと美術館へ足を運んだのは、この≪醍醐≫が初めてで
私と”美術館”という存在を結び付けてくれた思い出深い作品です。


20年以上前に見に行ったときのチケットも大切に保管してありまして
d0075206_2121439.jpg

そうそう、まだ兜町にあったときでした。
初めて行く場所に、ドキドキしながら行った記憶があります。
(それも今と全然変わらない、この方向音痴がなせるドキドキ)


≪醍醐≫を初めて見た印象は、綺麗と思うと同時に大きいなぁ!でした。


さて、本当に大きかったのか。
記憶の中で、大きくなってしまったのではないか...と思いつつ
展示室へ降りていきますと。


もう目の前に≪醍醐≫が。
正直、一番最初に展示されているとは思わなかったので心の準備(?)が
できないままに、初恋の人に出会ってしまったような。
いや、実際にはそんな体験ないですけれど。

あぁ、やっぱり綺麗だし、大きい。
調べてみたらタテ135.5×ヨコ115.8とのこと。
80歳を過ぎていても、この大きさを描ける気力と体力。
しかも、描きたいと思ってから10年以上の歳月が経過しているとか。

先日見た安田靫彦の≪飛鳥の春の額田王≫は19歳の時に見た風景を
60年かけて作品にしたものだというし、
画家の中で熟成されたものが作品になると、その人の代表作とも言える作品に
なるだけの力のこもったものになるんだなぁ、と。

それだけ長い間考え続け、形にしたいと思ったものは、より画家の想いが昇華され
反映されているんだろうな、などと思いながら見つめておりました。

そうか、そうか、幹はこんな感じに表現されていたのか。
桜の花びらも、盛り上がるように描かれている部分もあったのか、と。
20年経過しても、好きな絵を実際見られるって嬉しいなぁ、としみじみ。



最初の≪醍醐≫以外は、ほぼ制作順に展示されているようでした。

【第1章 土牛芸術の礎】

大正12年 関東大震災で自宅を焼失し、家財道具も絵を描く道具もなくなった、と。
その状況に屈することなく、自宅近くの武蔵野の風景をスケッチしていたそうで。
≪甲州街道≫という作品を見て、皆さん口々に「まぁ、のどかな風景だわねぇ」
「昔は、こんな感じだったのねぇ」と仰ってました。

大正15年に麻布へ転居し、当時の赤坂を描いたのが≪雨趣≫とか。
細かい雨の線と、雨にけぶる風景が印象的でした。


個人的に山種美術館を好きな理由の1つとして
作品と共に画家の言葉を紹介してくれるところがあります。
長年、絵と一途に向き合ってきた人々の言葉って重みがあるなぁ、と
毎回うんうん唸りながら帰ります。


奥村土牛は制作において外面的な写生にとどまることなく
根気よく観察し描く対象の「物質感、つまり気持ちを捉える事」を重要視した
画家
だと説明にありました。
同様に色彩についても信念を持ち、色は見たままではなく
「本当の色の気持ちを捉え」、その色は「精神を意味したものでなければならない」と
考えたといいます。


見たままを描くことも、色を再現することも出来ない私にとって
最初の、この文章からすでに恐れ入りました、と。
画家の描きたいこと、絵を通して伝えたいことなどを完璧に把握することは
難しいとは思うのですが、なんか、こう、私なんぞどれぐらい画家の方たちの想いを
理解できるんだろうか、と。
ちょっと申し訳ないような気持にもなりました。
それは絵画だけでなく、映画でも音楽でも、文学でも当てはまるのですが。


さて、今回の展示には動物を描いたものが何点も展示されておりまして。

昭和初期の院展出品作には鳥や猿、仔馬など動物に取材したものが多く
鋭い観察に基づく描写が際立っている


とのこと。

「目が美しいから生きものを描くのが好き」
「動物は見ているうちに愛情が湧いて楽しく描くことが出来る」
とも仰っていたようです。
ペルシャ猫やシャム猫といった珍しい猫がいると聞くと写生にも出かけたとか。
動物がお好きだったんでしょうねぇ。
犬の絵が1点だけしか展示されていたこともありますが、もしかしたら土牛さんは
猫派だったのかしら、なんて勝手に妄想。


≪兎≫という作品は、毛のふわふわ感、まんまるいからだ、ヒゲのポツポツまでもが
可愛かったです。


≪春光≫という作品は、鹿が銀色??でふちどりされているように見えて
春の光を、こうゆう風に表現されたのかなぁ、と思ったり。


【第2章 描くこと 見つめること】

≪聖牛≫という作品は、善光寺にインドから牛が2頭贈られたと聞いて
息子さんと見に行き、一週間かけて写生したと説明にありました。
その情報収集を怠らない姿勢と、実際に見に行く行動力。
丑年生まれの土牛さんは、初期から晩年に至るまで数多くの牛を題材とした
作品を残されているそうです。


≪鹿≫という作品。遠目では分からなかったのですが、近くで見ると
鹿の背中の濃い茶色の部分がピカピカしてました。
このあとの展示の中で≪門≫という作品をあとで見たのですが、この時も茶色の門の
一見すると、ただ濃い茶色が塗られているように見えた部分もキラキラしてました。
うーん、このキラキラが何か効果あるんだろうなぁ、としか分からない自分。無念。


≪城≫は、姫路城をモデルにしているそうです。
この石垣が、本当に石垣で。
と、説明にならないことを書く私。
石垣ここにあり、というぐらい絵の中に石垣があったんです。
下から見上げた姫路城の構図も、とても美しかったです。

このあたりの土牛さんの言葉で「無難なことをやっていては明日という日は
訪れて来ない。毎日そう考えるようになっていった」と。
この前後の言葉もメモしてくるつもりだったのに、すっかり忘れてしまい。無念。


姫路城の「はの門」を描いたのが≪門≫という作品。
かつて姫路城には、いろは順に名付けられた門が15、その他の門が69あり
合計84の門があったそうで。現在は21残っているとのこと。
風景作品では、≪醍醐≫、≪鳴門≫そしてこの≪門≫が好きです。

「はの門」を写生している土牛さんの後ろ姿の写真も展示されていました。


≪鳴門≫という作品を制作するために、阿波の鳴門へ写生に行ったときのこと。
揺れる船の中で、奥様に着物の帯をつかんでいてもらいながら必死に写生されたと
説明がありまして。
写真で済まそうとか、見ただけで済まそうとか、そうゆうことではなく
実際に自分で描くという姿勢を貫かれたんだなぁ、と。

≪鳴門≫の構図を決定するために制作された画稿も展示されていたのですが、
大きさは23.3×33.7とさほど大きくなく、しかも鉛筆によるものなのですが、
その渦の迫力たるや。


≪舞妓≫という作品は2年かけて完成させた作品だそうで。
その間に3度京都を訪れ、出品の一週間前まで京都に滞在していたとか。
うむむ、その粘り強さ。


≪稽古≫という作品は、力士たちの稽古の場面。
お相撲が好きだった土牛さん。
「相撲は人生の縮図でもあり、勇気をもらう存在。
さらには絵画と同じ芸道のひとつだ」と仰ったそうです。


≪僧≫という作品は
「仏像を彫刻的に表現するのではなく生きた人間の気持ちで描き、
人の姿を借りて自分の心を表そうと試みた」と。
若い頃から、釈迦十大弟子立像(興福寺)に心惹かれていたという土牛さん。
現存する六像のうち、舎利弗像(しゃりほつぞう)、目犍連像(もくけんれんぞう)、
須菩提像(すぼだいぞう)、羅睺羅像(らごらぞう)を写生する機会があったそうで
数年かけて写生されたそうです。

六像は、興福寺の公式ホームページで見られます。



≪蓮≫という作品も個人的に好きです。

法隆寺近くの寺の池に咲くこの蓮の花は、赤い蕾が開くと白くなり香高いのが
特徴だそうで。
花の芳香と新鮮な色が失われないよう、土牛さんは毎朝4時に起きて池で写生を
したと説明に書いてありました。

花や葉は輪郭線を用いずに描かれ、色の濃淡だけで質感と奥行きを表現している、とも。

花の香りまで絵に取り込もうとしたように思えて、しばし立ち止まり蓮の香りを
思い浮かべつつ見ておりました。


【第3章 白寿を超えて】

第3章の最初に紹介されていた土牛さんの言葉。

私の仕事も、やっと少し分かりかけてきたかと思ったら八十路を越してしまった。
(中略)
芸術に完成はあり得ない。
要はどこまで大きく未完で終わるかである。

うむむ。
16歳ぐらいで小林古径氏に師事してから64年。
日本画一筋に歩まれてきたというのに、やっと少し分かりかけてきた、と仰る。
うむむ。

唸るしかできませんでした。


日本百名山の一つを描いた≪谷川岳≫。
「非常に親しみのある、明るくやさしい山」と仰ったそうで。
険しい山並みながら、どこかゆったりとした感じが絵から伝わってきた気がします。
優しい緑と茶色が印象的な絵でした。


今回の展示で、私が一番好きなエピソードが添えられていた作品は
≪朝市の女≫。

昭和44年7月、息子さんの運転する車で能登旅行へ出かけられた土牛さん。
朝市で見かけた若い売り子さんを写生。(その素描も展示されていました)

ですが、現地での写生だけでは飽き足らず。
売り子さんと同じような白木綿と絣の衣装や笠を購入して持ち帰り、
自宅で三男の妻に着せて写生を繰り返した、と。

いやぁ、お嫁さん驚かれたでしょうねぇ。
義父が旅から帰ってきたと思ったら、お土産(?)が白木綿と絣の衣装、そして笠。
ずいぶん変わったお土産だなぁ、なんて思ったら、写生したいからそれを着て座って欲しい、
などとお願いされたんでしょうか??

しかも、1回や2回じゃないんでしょうねぇ。繰り返した、という表現からすると。
いやぁ、なんだか勝手にその状況を妄想して会場で一人笑ってしまって。
奥村土牛の頼みじゃ断れないですよね。
でもポーズだけで、顔は自分じゃないんだなぁ、とかこっそり思ったりはしなかったんだろうか
などと、これまた妄想。


売り子さんの前に並ぶキスやヒラメなども、奥様と一緒に築地へ出かけて
気に入った色と形のものを購入して写生を繰り返した、と。

繰り返した、と。ふふふ。何度も行かれたんでしょうねぇ。
きっと夕飯に、その魚たちが並んだんだろうなぁ、とか勝手に妄想。


長くなりましたが、最後の一点。
≪海≫

乗り板(大きな作品の制作時、乗って描くための板)を用いた最後の作品、と。
土牛さんが乗り板に乗っている写真も展示されていました。
大きな大きな刷毛を手に、作品に向かう姿。
当時92歳。
「これ程思い出楽しく描いた絵はない」と仰ったそうで。


そうか、乗り板というんですね!
安田幸彦展の図録にも、大きな板に乗って≪黄瀬川陣≫という作品を描いている
写真が載っていましたが。ふむふむ、これだったのか。

海の輝きを出すためにプラチナ箔を貼った上から色彩をつけたとか。
なるほど、四角い升目みたいなものが見えるのは何だろうと思ったら箔だったのですね。
金箔にしろ、プラチナ箔にしろ、その上から絵の具がのるというのが不思議で。

今回は、いつもの小型版図録ではなく、作品集という形で販売されていました。
他の荷物が重かったので、次回購入しようと帰ってきたのですが。
いや、次回あるのか??と。
どうしても欲しくなったら、山種美術館の通販で購入しよう。


絵葉書は2枚購入。
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はてさて、次に≪醍醐≫を見られるのは何時になるのか。
その時、自分は何をし何を考えているのか??と、ぼんやり思う今日この頃です。







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by yui_usakame | 2016-06-02 22:12 | 美術展

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