カメがウサギにドンブリ勝負

カテゴリ:―『ゴッホ~真実の手紙』( 3 )




ゴッホ~真実の手紙 ③

BBCが2010年に製作した『ゴッホ~真実の手紙』。
その日本語版について勝手に ときまして
今回の③にて完結でございます。


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初めのうち2人の仲はうまくいっていたが、ゴッホは再び頻繁に酒を飲むようになり
ゴーギャンとの関係はギクシャクしはじめる。

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「ゴッホの行動は、どんどんおかしくなっている。どうすればいいんだろう。
 彼と私は殆ど目を合わせない。特に絵を描いているときは。
 彼は私の絵を気に入っているにもかかわらず、描いている最中にアレコレ
 文句をつける。
 このまま一緒に暮らしていたら、いつかトラブルが起きるだろう」

ゴーギャンの予感は的中。

数日後、2人は激しい口論になる。

「もう我慢できない。ゴッホと言い争いになり、私は家を飛び出した。
 1人になって頭を冷やしたかったんだ。
 すると、後ろから聞きなれた足音が聞こえてきた。
 振り向くとゴッホが私の方に向かって走ってくるところだった。
 彼はカミソリを手にしていた」


ゴッホがゴーギャンを傷つけることはなかった。
しかし、その代わりに自分の耳の一部を切り落とした。

「私だって好きでやった訳じゃない。
 一度こうなってしまうと、もうどうしようもないんだ」

11-12月、《ひまわり》を描く。
12月、精神病の発作を起こして自分の耳を切断し、入院。

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この印象的な自画像は、ゴッホが入院中に描いたもの。
ゴッホは5か月入院したあと退院して、1度は自宅へ戻る。
1889年(36歳) 1月、退院。制作再開。
しかし不安定な精神状態を自覚し、弟に「また入院したい」と訴える。


「院長様
 兄の入院を許可していただけないでしょうか。
 そして入院しても兄が絵を描きたいと言ったら、どうか自由に絵を描かせて
 いただきたいのです。
 また、食事のときワインを少しつけてもらえたら嬉しいです」

1889年5月、再び入院することになったゴッホ。
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「ここの医者たちは私が耳を切り取ったことを、発作のせいだと考えているようだ。
 あれは発作なんだろうか。
 奇妙なことに、あれ以来私の心からすっかり希望が消えてしまった。
 私は心が病んでいることを認めようと思う」

5月、サン=レミの精神病院に移る。たびたび発作に苦しむ。

心の病を自覚したゴッホは、何週間もの間 作品づくりに取り組むことが出来なかった。
しかし次第に絵に対する情熱が湧き始め、再び筆をとることになる。
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「弟よ、カンバスや絵の具、筆、タバコとチョコレートを送ってくれてありがとう。
 本当に嬉しかった。描きたくて仕方なかったから」
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「ここ数日は、近所に絵を描きに出かけている。ここは空も太陽もすばらしく美しい。
 これなら、どんどん筆が進む。私の筆づかいは、まるでバイオリンを弾く弓のようだ。
 ただ体調を崩したので、作業がはかどらなくなってしまった」


「最近の兄さんの絵には、これまでの絵には見られなかった色が使われていて
 とても素晴らしいものになっている。
 でも最近の作品を見ていると、兄さんが追い詰められているんじゃないかと
 心配になってしまうんだ。
 なぜなら兄さんがギリギリまで自分を追い込んで作品を創りだしているように
 感じられるから」


「新しい絵を送るよ。星空の絵だ」
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「これは実際に夜 描いたものだ。大地は藤色。街は青と紫。
 手前には恋人たちを小さく描いたんだ」


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「私は精神的に追い詰められているのかもしれないが、自分ではどうすることも
 できない」


入院して一年以上がたった頃、ゴッホは「そろそろ退院したい」と弟への手紙に綴る。

「私には、ここの医者たちを批判する資格はないが、ここでの生活は お世辞にも
 快適とは言えない。だから本当にここを出たいんだよ。
 半年ぐらい前にも、この病院を出たいと言ったことがあっただろう。
 医者がいるのに発作が起きたんだ。

 作品づくりの途中だったから、死を選ぶことはなかったが、そうでなければこの世を
 去っていただろう。
 弟よ、2週間、できれば1週間がいい。1週間で私を退院させてくれないか。頼む」


「彼は入院中ほぼ安定した状態だったが、何度か発作を起こした。
 そして1度発作を起こすと、しばらくの間その症状が続いてしまうのだ。
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 彼は何度も自殺を図った。絵の具を飲み込んだり、ランプの燃料に使う灯油を
飲んでしまったり。
 しかし1か月ほどすると症状は治まり、精神状態が安定してきて情熱的に絵を
 描き始めた。

 今日、彼は退院したいと言い出した。ここを出てフランスの北部に住みたいと
 言っている」


1890年(37歳) 5月、パリ郊外のオーヴェール=シュル=オワーズに転居。

1890年5月、精神科医・ポール・ガシェの診察を受けるためフランス北部へ移り住む。
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ゴッホは知り合いの家の屋根裏に部屋を借りた。

「ここにやってきて、だいぶ気が紛れたよ。
 この間はガシェ医師の肖像画を描いたんだ。彼の顔の色ときたら、まるで太陽にジリジリと
 焼かれた煉瓦のようだ。
 赤い髪、白い帽子、青い背景。彼はとても神経質な人だ」

「でも私の自画像に似ている。彼は私の助けになってくれるのだろうか」


ゴッホは医師であるガシェと良い友人になった。
ガシェは、よく話を聞いてくれた。しかし、それでもまだゴッホは孤独だった。
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「病気になってからというもの、私はずっと孤独を感じているんだ。
 いっそのこと死んでしまおうかと考えることもあるが、そんな恐ろしい考えは
 直ぐに打ち消しているよ。

 絵を描いている時だけが生きていることを実感できるのだ。
 私は負け犬だ。それが私が受け入れるべき運命。
 それはもう変わらない。

 弟よ、私はお金のことでお前を困らせているのではないかと、ずっと気にして
 いたんだよ。伝えたいことは沢山あるんだが、すべての望みが絶たれた今
 そのことを書いても意味がないように思うんだ。

 せめて今手がけている作品について話そう。
 荒れた空の下の小麦畑を描いた素晴らしい絵だ。
 私はこの絵で悲しみと孤独感を表現したいと思っている。
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 身体には、くれぐれも気を付けて。   お前を愛する兄より」

(ちなみに、番組では『カラスのいる麦畑』が最後の作品とは明言して
おりませんでした。)

これがゴッホが弟に宛てた最後の手紙となった。
この手紙を書いた4日後、ゴッホは銃で胸を撃ち自殺を図った。

すぐに命を落とさなかった彼は、自力で屋根裏部屋へと上り、その2日後、
彼は37歳で この世を去ることになる。


「兄は、もう楽になりたいと言い、永遠に旅立ってしまった。
 皮肉なことに人々は兄が居なくなった今になって彼の才能を称えている」


ゴッホのことを本当に理解していたのは、弟のテオただ1人だった。

そのテオもゴッホの死から半年後、後を追うように33歳でこの世を去った。


ゴッホとテオは同じ墓地に並んで葬られた。
墓を覆うツタが兄弟をしっかりとむすびつけているように見える。

ゴッホそして弟のテオ。
彼ら2人の絆は、今もなおこうして固く結ばれている。

7月27日、小銃で自分を撃ち、2日後に死去。
1891年 弟テオ、死去。
1892年 アムステルダムでテオの未亡人の世話によりゴッホ展が開催される。
1901年 ベルナイム・ジュヌ画廊で回顧展。ヴラマンクらが感銘を受ける。
1905年 アムステルダム国立美術館で大回顧展が開催される。



ゴッホの作品を制作順に見られるページが、こちらにありました

毎度のことながら、Wikipediaによりますと

>約10年の間に、油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点を残し、
>手紙に描き込んだスケッチ約130点も合わせると、2100以上の絵を残した


平均1.7日に1作品産み出すペース。
油絵のイメージが強いのですが、水彩画の作品もあるのですね。。。


それにしても、なんという弟テオの愛情の深さ。

いくら兄とはいえ、いくら才能豊かな人とはいえ、正直やっていることが一途すぎて。
一途というか、極端と言うか。。。
根底にあるのは、困っている人を助けたいという正義感、優しい想いなんだけれども
自分自身が、どうゆう立場なのか、ということを判断する部分は棚上げと言うか。

もし従姉や他の人が彼の愛を受け入れていたら、ゴッホの人生は変わったのか。
もしかしたら、彼は生活のために絵を描いて生計を立てることを諦めたかもしれないし。

でもでも、あの気質は変わらないような気もするから、テオがもっと仕送りの額を
増やさなきゃいけない事態になっていたかもしれないし。。。

いまさら、もし、なんて120年ぐらい前のことを考えても仕方ないのですが。


カンバーバッチ氏の憂いを帯びた顔、絶望の中でみせる笑顔、泣き顔、体育座わり
などなど魅せられるシーンが沢山ありました。
衣装も色々ありましたし。むふふ。
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この番組を見る機会はないと諦めきっていたので、思いがけない夏の思い出と
なりました。
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by yui_usakame | 2014-08-30 21:00 | ―『ゴッホ~真実の手紙』

ゴッホ~真実の手紙 ②

BBCが2010年に製作した『ゴッホ~真実の手紙』。
その日本語バージョンについて書いております。

①は、こちらです


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ゴッホは都会(ハーグ)を離れ、オランダの農村地帯に移り住む。
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「ここは最高の場所だ。幸せな人生とは自然と触れ合いながら暮らすこと。
 私は今、夕暮れの光の中で草を焼く人を描いている。
 この間は小さな小屋を見つけた。自然に囲まれた美しい小屋だ」


しかしゴッホは次第に孤独を感じるようになり
「人は一人では生きられない。孤独には耐えられない。
 人間にとって最も必要なのは、やはり家族なんだ」

孤独に耐えきれなくなったゴッホは、仲たがいしていた両親の元へ
帰ることを決心する。

「息子を家においてやり、絵を描かせることにした。
息子は自分が住む部屋を改装して欲しいと言っている。
寒さをしのげれば十分に住めるはずだ」と父親。
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「家族は渋々私を家に入れた。まるで野良犬を仕方なく家に入れるかのように。
 家に入れてはやるが、家族の邪魔をしたり、うるさく吠えたりするな、とでも
 言いたげだ。動物と同じ扱いだ」

家族との関係はうまくいってなかったが、ゴッホはこの頃から素晴らしい作品を
残すようになる。

この時期、ゴッホは自分の作品に徐々に色彩を取り入れ始める。
それは、風景画だけでなく人物画にも。
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「今は人の顔を描いている。まだほんの練習の段階だが少なくとも30枚は描いた」

「これは農家の人々の絵」
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『ジャガイモを食べる人々(1885年)』

「彼らは小さな明かりの下でジャガイモを食べている。
 テーブルの上の皿に手を伸ばしてね。その手は大地を耕した手だ。
 自らの手で育てた作物を食べる。彼らは自分たちの力で食べ物を手にしたんだ」
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テオやゴッホの友人で画家仲間のラッパルトは、この絵を評価しなかった。

「友よ、君ならもっと上手く描けるはずだ。
 まず、後ろの女性の手が不自然だ。
 それにコーヒーポットを持つ この人物は取っ手をきちんと握っていないぞ。
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 とすると、このポットはどうなっているんだ?宙に浮いているのか?」

「それから、この男性には膝がないし腕も短すぎる。 おまけに鼻も変だ」

「もっと実物に忠実に描くべきだ。そう思わないか?」


ラッパルトからの手紙には、他にもこんなことが書いてあった。
「君の父上が亡くなったと聞き、私は君からの連絡を待っていたがこなかった」

ゴッホは手紙の中で、父の死については殆ど触れていない。
その関係は良くなかったにもかかわらず、ゴッホは父親の死にショックを受けていた。


彼は父親の聖書を描いた。
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「ページが白っぽく見える聖書の絵だ。表紙は皮で、背景は黒。
 これを一日で描きあげたんだ」

父を亡くしたゴッホは、故郷・オランダを離れ芸術の都・パリを目指す。
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1886年2月、ゴッホはパリに移り住み、弟のテオと一緒に暮らし始める。
ゴッホはパリの持つ芸術的な雰囲気に浸りながら新しい作品を生み出そうとした。

1886年(33歳) パリで弟テオと同居。
ロートレック、ゴーギャンらと知り合う。
印象派を理解しはじめ、色彩が明るくなる。浮世絵の影響を受ける。



「久しぶりに会った兄は、依然とずいぶん性格が変わったような気がするが
 私たちは仲良く暮らしている」とテオ。

「今の課題は良い肖像画を描くこと」
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肖像画を描くためにゴッホが注目したのは、自分と同じオランダ出身の画家・レンブラントだった。

レンブラントは数多くの自画像を残している。
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「これがレンブラントの肖像画。
 彼は自分を皺だらけで歯が抜けた一人の老人として描いている。
 最初は鏡を見て、自分の顔をスケッチする。
 そして、そのあとは暫く目を閉じて自分の顔を思い浮かべる。
 今度は鏡を使わずに記憶だけを頼りに自画像を描いていく。
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 なんだか悲しくなるな。私もいつかは、このような老人になる運命なのだから」

ゴッホは最初、暗い茶色の絵の具で自画像を描き始めた。
しかし、彼の筆づかいや色彩は次第に変化していく。
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当時流行っていた色に影響を受け、より軽やかでカラフルになっていった。

「1人の画家でも様々なパターンの肖像画を描けるということを示したい。
 それだけでなく、これまでになかった色彩の使い手にもなりたいんだ」


「兄ゴッホの絵は、まだ一枚も売れていないが他の画家と作品を交換することは
 あるようだ。彼は有名な画家のアトリエを訪ねて色々な画家と仲良くしているという」

しかし、人付き合いの苦手なゴッホは画家仲間たちとの交流には、あまり熱心では
なかった。

そしてゴッホと同じように、もう一人、社交的でない画家がいた。
のちにゴッホと深い関わりを持つようになるポール・ゴーギャン。

この頃、ゴッホとゴーギャンは日本の浮世絵に興味を持っていた。

「日本の浮世絵はカラフルで明るくて本当に素晴らしい。
 私は数えきれないほど沢山集めてしまったよ」
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ゴッホは最初は浮世絵のコピーをしていただけだったが、やがて少しずつ自分流に
アレンジするようになり、ついには自分の作品に取り入れるようになった。
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例えば『タンギー爺さん』と名付けられた作品の背景にも浮世絵をイメージしたものが
描かれている。
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精力的に作品づくりに取り組む一方で、ゴッホには悪い習慣がついてしまう。
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彼は浴びるほど酒を飲み始めたのだ。
その結果、健康が損なわれただけではなく弟テオからの信頼も失ってしまった。


「まるで兄の中に2人の違った人格が存在しているかのようだ。
 1人は才能豊かで優しいが、もう1人は自分勝手で冷たい人間だ。
 これまで兄のことを親友だと思ってきた。だが今はちがう」


2人の間には口喧嘩が絶えなかった。
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そんな生活に嫌気がさしたゴッホはパリを離れる決意をする。

1888年(35歳) 2月、「日本の光」を求めて南仏アルルに移る。

「私はアルルに向かう列車の中から見える、その美しい風景に息をのんだ。
 それは日本の浮世絵に負けないほど素晴らしいものだった。
 太陽はキラキラと輝き、夕日が野山をオレンジ色に染めている。
 なんて魅力的なんだろう!」
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アルルに着くとゴッホは一軒家を借り、すぐに製作に取り掛かる。

5月、「黄色い家」を借り、画家たちとの共同生活を企てる。

そしてゴッホの作品の色彩は、次第に色鮮やかになっていった。

「私は35歳になって初めて ここアルルの地へやってきた。
 できることなら25歳の時に、この地に来たかった。
 10年前の私は、暗い色の絵ばかり描いていたから。
 もう浮世絵は必要ない。なぜなら、ここには同じぐらい美しい風景が
 広がっているから」
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「今年は、この地で大いに作品づくりに励みたいと思う」


アルルに来てから前向きになっていたゴッホだが、1人きりの寂しさが
彼の精神を少しずつ蝕んでいく。
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「誰とも口をきかないまま何日も過ぎていく。
 誰かと話すのはレストランで食事を頼むときぐらい。
 私は、こんな風に1人ぼっちで過ごすのがとても不安だ」


そしてゴッホは手紙を書く。

「我が友 ゴーギャンへ

 アルルに家を借りた。もし君が南フランスの風景を描きたいと思うなら
 そして、私と同様、作品作りに没頭したいと思うなら、ここはまさに
 うってつけの場所だ。
 もしよかったら、ここで一緒に製作に励まないか」

「私の弟に、毎月1枚の絵を渡す。それが家賃の代わりだ」
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ゴーギャンと同居することを願って、大輪の向日葵でアトリエを飾った。


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「これは私の寝室を描いたもの。最終的にはステンドグラスのような色をつけたいと
 思っている。なかなか面白い作業になりそうだ」

1888年10月、ゴーギャンがアルルへとやってくる。
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数日後、同じテーマで作品を描こうと2人で古代ローマ時代の墓地に出掛けた。
ゴッホは実際の景色を見ながら描き、背景には工場も描かれている。
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一方ゴーギャンは、記憶をもとに作品を描きあげていった。

ゴーギャンが時間をかけ念入りに完成させている間に、ゴッホはさらに2枚
別の絵を仕上げた。
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「ゴーギャンは彼自身も気づかぬうちに、やり方を少し変えるべきだと
 教えてくれた。
 そして私も今、記憶をもとに書いている。
 これまでの作品を題材にして、思い出しながらね」

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これは、ゴッホが記憶をもとに書いた作品の1つ。
そこにはゴーギャンの影響が強く感じられる。

「巨大なレモンイエローの太陽。黄緑色の空とピンク色の雲。
 畑は紫色で、人物と樹は紺色だ」

しかし、記憶だけで描く方法はゴッホには合わなかったようで、彼はすぐに
元の描き方に戻った。


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「最近2枚の絵を描いた。
 1つは赤いタイルの上に置かれた黄色い椅子。もう1つは赤と緑に染まった
 ゴーギャンの椅子。ゴーギャンの椅子には小説とロウソクが置いてあるんだ。
 なかなか面白いだろう」


~③へつづく~
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by yui_usakame | 2014-08-29 00:01 | ―『ゴッホ~真実の手紙』

ゴッホ~真実の手紙 ①

8/30までGyaoで無料放送中の『ゴッホ~真実の手紙』。

BBCが2010年に製作し、カンバーバッチ氏がゴッホを演じております。

ゴッホについて、私は飛び飛びにしか知らなかったんだなぁ、と。
もちろん、この番組で完全に網羅している訳ではないのですが。。。

番組を見終ってから、東郷青児美術館のホームページを見ていたら
ゴッホの略歴が載っておりました。
これが結構面白くって。。。
面白い、というと失礼なんですが。
淡々とした文章がゆえに、なんだか面白い。


番組も興味深かったので、書き起こしてみました。
文末や、語順を少々読みやすいように変えています。

途中途中で、東郷青児美術館のホームページに載っている略歴も差し挟んでいこうと
思います。オレンジ色の文字部分が、その略歴です。


ちなみに、私がGyaoで見たのは日本語吹替版。
吹替え、といってもボイスオーバーなので少々、ほんの少々、たまーに
カンバーバッチ氏の声が聞こえます。


下にロシア語?字幕が入っていますが、こちらに英語バージョンが
ありました。
本編 約80分を、日本バージョンでは約45分に編集しているようです。



英語字幕入りのものもありました。ただし、6分割されている模様?
すみません、全部を見て確認していないのですが参考までにペタリ。


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ビンセント・バン・ゴッホ。
1853年 3月30日、オランダ南部のズンデルトに、牧師の子として生まれる


大胆な色彩と独特なタッチで知られる天才画家。

「私の筆遣いは、まるでバイオリンを弾く弓のようなんだ」
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ゴッホは、とても繊細な心を持った人物だった。

「私は精神的に追い詰められているのかもしれない。
 どうすればいいか分からない」

彼は生涯にわたり多くの手紙を遺しており、その殆どは弟テオに宛てたもの。

テオはゴッホの弟であり、親友であり、そして経済的な支援者でもあった。
1857年(4歳) 弟テオ生まれる。テオはその後画商となり、フィンセントを生涯にわたり、
経済的かつ精神的に支える。

これは、ゴッホや弟テオの書いた手紙をもとに作られた真実の物語。
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ゴッホにまつわるエピソードで最も有名なのが、自分の耳を切り落としてしまった
ことだろう。

1888年12月23日。
友人と口論になり頭に血が上ったゴッホは、なんと自らの左耳の一部を
カミソリで切り取った。
傷ついた彼は病院へ運ばれる。


「親愛なる我が弟テオへ
 私は鍵のかかった病室に、もう何日も閉じ込められている。
 ここは酷い場所だが、幸い耳の傷口はふさがりつつある。
 しかし困ったことに、まったく眠れないんだ。
 そのせいで、私はすっかり弱ってしまった」

「愛する兄さんへ
 兄さんが眠れない日々を過ごしていると知って、僕も心が痛むよ。
 どんな時でも僕は兄さんを愛している。弟のテオより」


固い絆で結ばれたゴッホとテオ。
2人のこうした手紙のやりとりは、一体いつから始まったのか?

子供の頃、寄宿学校で絵画の基礎を学んだゴッホは1869年16歳の時に
美術商の見習いとして働き始めた。
1869年(16歳) 美術商グーピル商会ハーグ支店の店員になり、多くの絵画に親しむ

その3年後、弟のテオもゴッホと同じ仕事を選ぶ。
2人の手紙のやりとりが始まったのは、この頃のこと。
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ゴッホが19歳、テオが15歳のとき。

「僕たち2人が同じ職業に就いているなんて嬉しいことだ
 これからも頻繁に手紙を交換しよう」

「実は1つ提案があるんだ。2人の間では隠し事をしないと約束してくれないか。
 お互いを信頼して、お互いの支えになろう。
 これからの人生で2人の絆がさらに深まりますように」

美術商の仕事を始めて4年が経った頃、ゴッホはロンドンへ転勤に。
1873年(20歳) ロンドン支店に栄転。
彼はそこで ふと目にした新聞の中に白黒の版画を見つける。
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その美しさに目を奪われたゴッホは、すっかり版画の虜になってしまった。

「このような版画は画家たちにとって、お手本にしたくなるような存在だ。
 見ているだけでワクワクする。イギリスの画家はとても勉強熱心だと思う。
 彼らこそ画家の原点だと言えるだろう」

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この作品は当時ゴッホが集めていた版画のコレクションの中の1つ。
貧しい労働者をテーマにした、こうした版画はゴッホの生き方に大きな影響を
与えた。

「この街には多くの労働者がいる。そして彼らは神を心から信じる敬虔な
 クリスチャンだ。街の教会では牧師が聖書の教えを伝え、人々は熱心に
 牧師の話を聞いている」


この版画を見てゴッホは自分の父親のことを思い出した。
彼の父は牧師だったのだ。
そしてゴッホは牧師になることを決意。
しかし聖書を学ぶことに没頭するあまり仕事がおろそかになり、職を失ってしまう。
1874年(21歳) 下宿の娘に求婚するが断られる。聖書を読むことに没頭する。
仕事を辞めたゴッホは本格的に牧師への道を目指す。
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1876年(23歳) 店を解雇され、教師になるも年末には辞める。


「私は今、学校の中にいる。窓から見た光景を描いてみた」
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ゴッホはロンドンの日曜学校で子供たちに勉強を教え始め、そして、初めて人々の前で
聖書の教えを語った。


「テオ、聞いてくれ。この前の日曜日、初めて教会で話をしたんだ。
 みんなの前に立った時、まるで暗い地下から陽のあたる場所に出てきたような
 感じがした。あれは本当に素晴らしい体験だったよ」
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ゴッホは本格的に牧師を目指すため、1876年オランダに戻る。
しかし、たった1年で勉強につまずき牧師になることを断念。
1877年(24歳) ドルトレヒトで書店店員を経た後、牧師を志す。
残された道はキリスト教の教えを広める活動をする”伝道師”になることだけ。
伝道師の道を歩み始めたゴッホはベルギーの炭鉱に派遣される。
1878年(25歳) ブリュッセルの伝道師養成学校で実習。
ベルギーの炭坑町ボリナージュで熱心に伝道し、あい間にスケッチをする。



「ここではカゴのようなものに乗って作業する場所まで下りていく。
 ここで働く人々は、それに慣れているようだが私はカゴに乗って降りることが怖い」

ゴッホは炭鉱で働く人々の厳しい労働環境に心を痛め、病人や怪我人の世話を
献身的に行った。
しかし、半年たっても伝道師になることはできず彼は志半ばで諦めることになった。
1879年(26歳) 献身が常道を逸しているとして伝道師を解任される。

「人はよくこんなことを言う。
 あれがキッカケで人生が上手くいかなくなった、とか。
 あの時から下り坂になった、とか。まさにそんな感じだ」
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弟のテオは手紙と共にゴッホが送ってきたスケッチを見て、兄のただならぬ才能を直感。
そして画家になるようゴッホに勧める。
1880年(27歳) 画家になる決心をする。


「これからは生まれ変わろう。今まで私は何をやっても続かなかった。
 でもこれからは、どんなに辛くても もう逃げたりしない。
この世に生まれ、これまで生きてこられたことに感謝し、その気持ちを絵画という形で
 残さなければ。それが私の義務であり、責任なんだ」
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美術商の仕事を辞めてから4年。
様々な困難を乗り越えゴッホはついに天職を見つけた。

その後の手紙から、彼がどれほど作品制作に没頭していたかが分かる。

「デッサンは全ての基礎となるものだ。ミレーのような巨匠から人物画の
 デッサンを学ぼう。
 彼はこう言っている『美術に身も心も捧げよ』」
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「ミレーの『種まく人』を私は もう5回も描いている。作品に愛を込めることが出来れば
 きっと人々に気に入ってもらえるだろう」


このように作品に愛を捧げたゴッホだったが、人生においては愛を得ることが
出来なかった。

あるとき、ゴッホは両親の家で1人の未亡人と出会う。
ゴッホの従姉にあたる女性で、ゴッホは彼女に恋をする。

「恋に落ちた瞬間から、私には分かっていた。
 すべてを投げ出し身も心も完全に捧げなければ、チャンスはないと思う」
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残念ながら、この恋は片思いだった。
ゴッホは家族から彼女に会うことを禁じられるも、それでもゴッホは彼女に手紙を
送り続けた。

「我慢できずに彼女に会いにいったが、おじに『しつこいぞ』と怒鳴られた。
 私はランプの灯に手をかざし、この火の熱さに耐えていられる間だけでもいいから
 会わせて欲しいと頼んだ。しかし結局会うことは叶わなかった」
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ゴッホの恋は父親の怒りをかった。

「父さんに、お前は一家の恥だと言われ大喧嘩になった。
 父さんに出て行けと言われ頭にきた僕は、こう言い返してやったんだ。
 『父さんの信じる宗教だって、くだらないじゃないか』
 『もう僕はキリスト教には関わらない』ってね」

全てを失ったゴッホは弟テオを頼った。

「テオ、もうお前に頼むしかない。お前の負担にならない範囲で時々金を送ってくれ。
 その代わり私は作品を送るよ。そうすれば、絵を描いて稼いだと考えることが
 出来るから」

弟テオの返事は
「兄さんの絵が売れるまで、出来る限りの援助はしよう。
 でも父さんに酷いことを言ったのは赦せない。頼むから父さんと仲直りしてくれ」


父親と喧嘩して家を飛び出したゴッホは、オランダ南西部の町・ハーグに小さな
アトリエを構える。

1881年(28歳) エッテンの家に帰る。従姉に求婚を拒まれ、ハーグへ。
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ハーグは大都市で、ゴッホはここで近代的な街並みの風景画を描いた。


「そんなある日、私は妊娠中の女性と出会った。
 お腹の中にいる子の父親に捨てられた女性だ。
 冬の町を彷徨い、食べ物を手に入れようとしていた。
 私は彼女にモデルを頼み、そして一緒に暮らすことにした」
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シーンという愛称で呼ばれる その女性はゴッホより年上で、娼婦だった。

「私はシーンに部屋と食べ物を与えた。そうすることで彼女とお腹の中の子を
 飢えや 寒さから守っているんだ。
 彼女は痩せていて顔色も悪いが、私にとっては美しい。
 彼女をモデルにデッサンを描いた。タイトルは”悲しみ”。」

「私は自分の作品によって人々を感動させたいんだ。
 これは、そんな絵が描けるようになるための第一歩だと思うんだ」
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「このデッサンは砂地に生えた木の根。風景画も人物画と同じように感情を込めて
 描きたいと私は思っている。このような木々にも表情があり、魂があるんだ」


シーンとの関係は、従姉に恋をしたとき以上に家族の怒りをかった。
今回ばかりは弟のテオも腹を立て、ゴッホへお金を送るのを止めてしまう。
その結果、ゴッホはシーンを養うことが出来なくなってしまい2人の生活は
終わりを告げる。

「彼女のことは忘れない」
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ゴッホは都会を離れ、オランダの農村地帯に移り住む。
1882年(29歳) オランダ各地に移り住み、制作を続ける。
農民生活や肖像画、風景など、方向性が定まってくる。



~②へつづく~
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by yui_usakame | 2014-08-27 22:54 | ―『ゴッホ~真実の手紙』

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